12/27 正しい情報を流せない 昼のテレビ「グッテイ」は許せない
久しぶりにテレビをかけたら保育園の虐待について話題にしていたので見てしまいました。コメントは専門性・専門性というだけで何も保育の専門性を説明しないで終わっている低俗な番組でした。
テレビにおいて保育園での虐待について取り上げて尾木ママをはじめ保育の専門家と言われる人がコメントをしているのを見ました。まさに昭和の保育が残っている現場です、理事長・園長が変わらなければ現場は変わらない実態と言えます。
福岡市で園児300名、職員37名が働いている中で「正座のまま昼寝」「布団に巻き付ける」「しゃべらせないために口にテープを貼る」「押し入れに閉じ込める」「おしっこに行かせない」「豚の絵を指さしてあなたはこれだよ」「給食を無理やり食べさせる」といった不適切な保育を取り上げて今後どうしたらよいかということを話し合っているテレビでした。
専門家と言われる女性は「専門性を持つこと」「親も厳しく育てることと虐待を間違えないで育てること」尾木ママは「専門性が出来なければ、ちゃんとやってくれなければ」とコメントしていました。素人のコメントは保育者の人数が少ないのでないか。
他のコメントも保育士の給料の問題、人手不足で保育園が無くなったら困る、このような虐待の保育に対して耐えられない心ある保育士は辞めている実態でした。主任は何も言えない組織ぐるみの不適切な行為、理事長と園長は入院中でコメントがとれないといった中途半端なテレビの放映でした。
人手不足で困るといった言葉でなく、このような虐待をしないための知識を大学・養成校できちんと教えることが根本といえます。大学の教育問題が基本にあることを尾木ママも専門家と言われる女性も何故言わないかは、大学の幼児教育の実態と保育現場を本当に知らなくていかにも自分は一言、言わなければならない評論家だからとテレビの功罪でした。
特に、養護という言葉で大学では学生に教えていることがあります。しかし、この養護を正しく教えられない教授が問題です。養護を健康の生活習慣を身につけることと混同し、この虐待の事例の訓練や鍛錬のように現場で教えるのが良いと勘違いしている勉強不足の教授から教えられた園です。
その教えをそのまま理解した昔の考えの園長・主任がいることが不適切な保育に結び付いていることをテレビで伝えるのが評論家・幼児教育のプロです。
また、園長・主任研修では命を守ること、病気にさせないこと、情緒の安定を図ること、食事は楽しく、生理的欲求を満たすという保育者がする行為が養護です。養護の基本を大学で教えて、現場では当然しなければならないのが養護に包まれて教育があるという知識を持っているのが専門性ですと尾木ママや専門家は正しい情報を伝えることです。
しかし、テレビで正しい知識を言えない番組を作っている日本の保育のテレビ界の知識の低さが問題でした。
では、どのようにこの問題を解決するかというと園内研修で保育観のズレを直すことです。特に複数担任で実践している場合にお互いが虐待の正しい知識と技術になっているか話し合う場を持つことです。
そして、話し合ったことが園として正しい知識と技術かを学年主任と話し合うことです。学年主任が二人の話し合いがずれていれば点検・評価します。特に主任と保育観がずれていれば主任が正しい知識や技術を伝えて改善します。
ここで重要なこの主任の点検・評価に対して園長が園の理念・方針にふさわしいかを評価します。理念や方針の中には、人や物を大切にする生きる力を育てるなど子どもの実態、地域や保護者の要望などに適していれば「これでいいという評価をして保育を進めます」大切なことは複数で話し合いお互いの保育を点検・評価することと同時に主任の保育観にあっているかどうかです。
さらに理事長や経営者の創立からの理念にふさわしいかを確認して保育実践を進めることで全員の保育観のズレが少なくなります。
保育士の人数が多ければいいでない、給料が高ければいいでない、園全体が保育の知識と技術を高め、子どもが主語という発想で子どもの発達を正しく理解し養護と教育について正しい情報をもって全員が乳幼児を愛する保育者集団としてプロ意識を持つことと思います。
尾木ママやコメンテイターは、この虐待の場に出会うと心ある保育者は言えなくて辞めてしまう、主任は保育士からの言葉を受け止めることができない、忙しすぎて見切れていないといったありきたりのコメントでなく、まず虐待について正しい知識をお互いが共有することが第一歩です。
保育の専門性をとりあげることです。
テレビ番組の功罪を理解しなければ日本の保育・教育は良くならない原因と思いました。
特に、養護の中にある温かい愛のある雰囲気の環境を作るといった心を大切にするための保育環境も取り上げて虐待といじめに視点を向けることが課題と思います。