ありきたりのほめ方「わあ、上手。大きくなったね」子どもは偽物と見抜く力を持っている。心から相手を本当に愛していれば 響きあいますね。 名古屋柳城短大 元教授 飯田 和也
三歳で園に入るときに医療ケアの必要があり言葉も少なく、歩くこともできなく、車椅子で生活していた子ども、卒園式の時にはマイクでありがとうとみんなの前で言えるようになり、特別支援学校に入学した子が久しぶりで挨拶に来ました。三年生になったので何しているのと聴くと「ピアノ習っている」というので預かりの子どもや先生たちがいる中で「ピアノ弾いて聴かせてくれる」というと小さな声で「恥ずかしい」といって自分の頭をたたくのでした。
そこで、じゃあホールで先生たちだけに聴かせてくれるというとホールのピアノの前に母親と一緒に座りました。
右手でメロディを弾き時々左手も入れながらリズムを合わせ、力強い曲でした。この曲「友だち賛歌」を聴いて年少児の時の一人で歩けない、言葉がはっきり出ない、看護師の資格を持った職員や親が痰をとる作業をしている場面、そして友達に囲まれて笑顔を見せている姿を思い出しました。
三年経って戻ってきてピアノの椅子に座り母親に支えられ一緒にピアノを弾いている姿を見て年少・年中・そして年長になる中で様々な行事で歩けないが台車に乗って舞台で手を振る姿、友達と手をつなぐだけでいい保育場面を思い出し大きくなったなあ、こんなにも母親と一緒に笑顔でピアノを弾く姿を見せてくれて大きく発達した姿に涙があふれてきました。
終わってから「先生、〇君のあの歩けなかった時、しゃべれなかった時、動けなかった時の姿から今、ピアノでリズムよく、メロディーもわかり、一つ一つが力強い音が出ていて涙が出てきたよ。うれしかったよ」と言って抱きしめると「うれしい」と言って抱き着いてくるのであった。そして「先生もうれしい」というと、さらにぎゅっと抱き着いてきて細い腕で何度もうなづき抱いてくる姿を味わうと、今日この子の発達している姿が見られて感動する自分を味わいました。
一生この出会いは忘れることができない瞬間に結び付いていると確信したのでした。
この時教えられたのは「大きくなったね」「立派になったね」「上手にピアノ弾けるようになったね」「ピアノ聴けて良かった」というその場限りの言葉かけではしがみついてこなかったと教えられました。
心に響く言葉として、どこがよかったか、どうして素晴らしかったか、さらに、どうして涙が出てきてうれしかったという言葉を使うことでこの子は、自分は認められた、自分には人を動かす力が育っていると自覚できたと思いました。
「こどもは自分に対して、ここまで言ってくれてありがとう、自信を持たせてくれる生き方。相手に感動を与える力があること」を自覚させてくれたから「ぎゅっと抱き着いてきた」と思います、さらに、ピアノを弾く機会を与えられてチャレンジできたことに心を震わせられ、さらにぎゅっと抱き着いてきたという二人に共通の心の交流が通じたという場を感じた出会いでした。
相手の心に届く言葉・ぬくもり・笑顔の在り方など、本物の出会いの一つを教えられた瞬間となり感謝したいものです。見掛け倒し、表面だけの出会いでは味わうことができない瞬間は心に残りました。感謝ですね。