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飯田 和也
大学で、紙芝居や手遊び、話すことのプロが保育現場に精通し、実践に結び付けられる演習を担当していないと教えられていません。
人前に立ったとき、大勢の相手に対してスグに話すのでなく一度その場にいる人・子どもたちを見る時間として『間』が大切になります。
「間」を持つことで聞き手は引き付けられることになります。
「間は魔物」と言う言葉があります。子どもたちや保護者の前で話す時は間をとること
間が無いのを間抜け・間がありすぎるのを間延びといいます。
ただ、子どもや親に対して「間」がなくて園の方針等をべらべらと感情も少なく、ただ説明すれば終わりと言う態度では相手に通じない場合があります。
話す時にべらべらと話すこと、それも聞き手を見ないで一方的に話す先生がいます。しゃべりっぱなしでなく時々聞き手をみたり、テンポを変えたり、声の大きさを工夫しながら『間』をとることで聴きたくなります。
特に、新人は話したいことがたくさんあると、あれも・これも伝えなければならないという姿勢となり、早口になったり、『間』がとれなくなります。その時に相手を見ていないがために自分しか理解していない態度となり原稿だけを読んでいたり、覚えてきた事しか頭に働かなくなり、『間』がなくなります。
自分の癖は自分では解かりません。周囲にいる園長・主任が早口になる事、声が小さくなる事、間が無くて聞き辛い事を具体的に伝えて改善させる時と場を注意しなければ直りません。
「間」が取れるためには、聞き手が主語という姿勢になる事で、相手はどのように感じているのか、何を理解しようとしているのか、相手をわかろうという気持を持つことが第一になります。
そして、自分の話す時の癖をテープで録音して早口、声の大きさ、テンポの変化のつけ方、声色の作り方、間のとり方を客観的に把握して癖を見つけることから始まります。
何を相手に伝えたいかと言うことを考える事で間をここでとると理解しやすいとか、ここはもっと早口がいいといった聞き手の立場になる事で『間』のとり方ができます。
特に、紙芝居や絵本を読む時に作者が何を言いたいのか、何を伝えたいのか、何を気付いて欲しいのか、言葉を通して心の大切さを理解する事を間の無い人に伝えるのが園長・主任になります。
間が理解できていない人には絵本や紙芝居を何回でも下読みをして声の使い方・感情の入れ方・文のなかで点と丸の時の息の取り方を納得がいくまで練習する事を園の方針にすると『間は魔物』が解かり、子どもたちはひきつけられ、我慢して最後まで聴く態度が身につきます。