飯田 和也
保育所保育指針 第一章 総則の(2)保育の方法のオで「生活や遊びを通して総合的に保育すること」とあり解説書には、
子どもにとっての遊びは、遊ぶこと自体が目的であり、子どもは時が経つのも忘れ、心や体を動かして夢中になって遊び、充実感を味わっています。
遊びには様々な要素が含まれ、子どもは遊びを通して思考力や想像力を養い、友達と協力することや環境へのかかわり方を体得していきます・・・。
生活や遊びを通して別々に発達していくのでなく相互に関連しあい、総合的に発達していくのです。と明確に述べてあります。
保育者として改めてこの文章の意義を考えて保育の方法に取り入れることで保育の質が高まることとなります。保育者として遊びは大切、遊んでいるから発達している、遊ばせれば保育となるといった保育観ではありません。
何故、子どもにとって遊びが大切かを理解し発達を保障するには、保育する時に保育所保育指針第二章『子どもの発達』のなかで発達特性の(3)子ども同士の発達「身体・知的・情緒・社会・道徳的発達」を参考にすることが理解しやすいと思います。
保育者が子どもたちのそばにいなくても遊びの場面を見つめると様々なかかわりによって発達していることがあります。保育者として乳幼児が一人で遊んでいるからいい、二人で仲良くしているから良い、仲良くしていないから仲良くさせなければならない、一人でそばにいるけれど早く集団に入らせなければならないのでないかと偏った考えで『遊び』を捉えている場合が見られます。
例えば、保育の場面において一人で遊んでいる時、ありの動きを見つけてじっとしゃがみこんでいて、そしてありを捕まえようと必死で親指と人さし指でつまむと『先生、見て、見て捕まえた』と見せに来る子どもがいます。
雲が「象さんみたい」と雲を一人で見ている子もいます。また、友達がブロックを使っているのをそばで見ている子もいます。さらに、二人で積み木をつかって家を造り始め、一人が二階建てを造るとさらに、その上に三階にした。しかし、形がおかしいと文句を言うと『僕は三階だぞ、これでいい』すると『階段はここ』『違うこっち』といったやり取りがありました。次々と積み木を通して関わりが広がっていきました。
また、ままごとのセットで果物のバナナに見立てたおもちゃをかごに入れ、遊んでいて横に置いたとたん隣にいた子がさっとバナナのおもちゃをとって自分の皿に乗せたのを見つけて自分のバナナといって取り返しました。となりの子が置いたからこれは自分の番と思い遊び始めたとたん取られて取り返したが、又取かえされ、叩き合いになりました。最初ちょっと叩いたのか゛相手は自分より強く叩いたのでさらに強く叩くともっとたたいてきたので今度は思い切り叩くと痛いといって泣いてしまい、次には頭を叩かれたので思い切り叩きあいとなりお互いが泣いてしまいました。
このように一人で遊んでいる時、保育者が見なさいといわないが子どもは自分から観察しているとき、そこにはただボーとしているだけでなく主体的と言う自分で考える知的発達が育っています。
また、ありを捕まえるとき、身体発達の一つである手先の発達がなければありをうまく捕まえることはできません。二人で仲良く遊んでいる時、仲良くとは、相手の動きを見つめ、相手の考えを相手の行動を理解し受け入れないと仲良く遊ぶことにはなりません。ブロックや積み木を二人で遊ぶ時、同じように身体的発達の手先が発達し、知的発達においてもイメージの共有ができて初めてごっこや家を造ることで社会的発達が二人で遊ぶことで促されます。さらに仲良くすることで自分は受け入れられているといった情緒的発達が身につきます。
けんかの場面では、自分の所有物が取られた、邪魔された、自分の考えとずれた、横はいりされたなどで口げんかや叩き合いになったときに、関わりがエスカレートしてけんかとなります。このようなときに社会的知識や情緒的発達、道徳的発達が保育者の対応によって異なります。
お互いの心情「言葉で言い表すことが出来ない喜怒哀楽」を保育者が共感することで気持ちを受け入れてくれる体験となります。この自分や相手を理解できない心情を具体的に説明し示してくれる保育者との出会いにより相手の気持ちを理解できるようになり『思いやり』が育つ基になります。
遊びや喧嘩の大切さは、子どもの手先の能力や言葉の発達に相応しいおもちゃが保育では必要になります。又、社会的知識としてルールが育つにはかかわりたくなる友達として喧嘩相手を人的環境として立案や実践には配慮しなければなりません。
そして乳幼児の心情を把握し共感する支援により道徳的発達が身につきます。このように遊びの中で子ども同士の発達『身体的発達・知的発達・情緒的発達・社会的発達・道徳的発達』を身につける基本が含まれています。
ただ、遊ばせていれば良いというのでなく遊ぶには身のこなしや友達と同じように手先が使えること、友達と遊ぶことでまねしたり、言葉でのやり取りができること、泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しむ体験が出来ること、ルールを守らないと喧嘩になり、一緒に楽しむには相手の気持ちを理解し、クラスの友達と行動することで快い経験となります。
この一人で遊んだり友達と仲良くしたり、集団で行動することにより、将来、社会に出てから困難を乗り切る力や自分から社会の荒波を乗り切る知恵を身につけることになります。
ただ遊んでいるのでなく将来の自我能力と認知能力を身につけるためには、指導計画の中に子ども同士のかかわりも重要であることを理解しなければなりません。このような保育観を保育所だけでなく地域の母親にも繰り返し伝えることで、子どもの発達を理解し最も重要な遊びが理解されます。