養護と教育  保育の初心に戻るため

NO IMAGE

養護と教育  保育の初心に戻るため

養護と教育の基本 保育の初心に戻るため

飯田 和也

 

  • 保育所・こども園における教育は、養護の土台の上とか養護に包まれて教育があるという言葉があるように養護と教育の一体化が根本といえます。
  • 幼稚園における教育には、養護という言葉はないが、配慮すべきこととして保育所・こども園における養護のように園児の命を護り、情緒の安定を図ることは当然です。さらに生理的要求を守り、病気にさせない保健衛生的な大人がすることを理解していなければなりません。
  •  このことは、各幼稚園に任せられているが配慮事項や環境構成のなか、 保育の環境として企画・立案しなければなりません。
  •  子どもの発達を抑え「生きる力」を身につけさせること、自我能力『困難に出会っても逃げないで乗り切る力』と認知能力『自分から○○する』という主体性を大切にする発達を捉えて配慮しなければなりません。

演習 命を守る「二人一組で命を守る体験」

情緒の安定を図る「真っ暗闇の体験」

  • この養護に包まれた教育は、養護として、乳幼児に対して訓練や鍛錬を与えるのでなく、命を護り、病気にさせないで、生理的欲求を満たしつつ情緒の安定を図るという大人の行為として解釈をすること。
  •  幼稚園も保育所もこども園も一人一人の子どもの発達を愛するという保育は変わりません。こども園・保育園・幼稚園も、生きる力を与える保育をすることが幼児教育の本質といえます。
  •  生きる力とは、具体的に困難に出会った時に逃げないで乗り切る力を持つことです。そして、この生きる力は押し付けられたり、与えられればつくものでなく幼児一人一人が自分から行動するという主体的な行為にかかっています。
  • 乳幼児に歌を聞かせれば良い、上手に歌わせれば良い、折り紙を折らせればいいという従来の保育実践では、生きる喜びや生きる力を与えられることになりません。
  •  乳幼児の資質と能力「三つの柱」1 知的・技能 2 思考力・判断力・表現力、3 非認知能力「知能テストでは測ることができない我慢して最後までやり遂げる力・思いやり・挑戦・自尊心」を見つけ、そして気づかせ、身につけることが幼児教育の本質といえます。
  •  しかし、従来は保育者や保護者の眼に見える能力として上手に絵を書かせること、歌を歌わせること、縄跳びを上手に跳ばせることに囚われていたことでできる子やできない子を重視した教育といえます。

 

「子どもが歌を歌った時、保育者として終わってから共感していますか。

折り紙を折っている時、三つの柱の知的発達や技術を見つけて共感しましたか、」と保育者に問いかけた時、「何を共感していいか」理解できない現場の保育者が多いかということが現実です。さまざまな保育の場で、身体発達として手先や身のこなしが半年前に比べると大きく発達したこと、また、情緒の安定したことを見つけ、保育者や友達とのかかわる力が育っていることを気づくことが大切です。

このような発達を見つけることが難しいと思うのでなく、一人ひとりを愛する力をもつことが保育の奥の深さといえます。また、知的発達している箇所や技能を見つけるには、乳幼児の目、耳、手、足、口、鼻になろうということを大切にしないと共感できない。みなさいといわなくても乳幼児は見ていること、しかし、見ているよ、面白いな、不思議だな、楽しいということを言葉で言い表すことが出来ない心情を大切にしていなかった従来の日本の教育を見直すことです。

上手にさせることにとらわれ、意欲中心の幼児教育から心情を大切にし、意欲も我慢する態度も人を愛する態度も見つけて共感したり、 みまもったり、 問いかけたり、助言して乗り切る力を持っていることを見つけ、そして自分から○○する主体性を 大切にすることが幼児教育の本質といえます。

このことに気づいていない学者がいかに多いか、 乳幼児の心情・意欲・態度を本当に認識していない現状が見られます。

「ねらい」は到達目標でなく発達の方向性です。三つの柱を今日、上手にさせることでなく卒園までに身につければいい、できなければ小学校、中学校、そして高校卒業までにできるようになればいいという発達の捉え方です。

90歳過ぎても思考力=発見できる生き方が身についていることが大切と言われます。

りんごを見せて、「はい、 りんごと言ってごらん」と説明もなく言わせる保育から「りんごといいたくなる保育」を考慮したいものです。まず、保育者が人的環境として匂いを嗅いだり、大切に持ったり、また重そうに、触ったり、匂いを嗅いだり、すっぱいとか甘いという感想をいいながら食べる姿を示したり、具体的に説明するなどの言葉を添えたり、示したり、説明する環境があって「じっと見る・匂いをかぐ・触る、少し口に入れる、なめるなど』があってりんごを言葉で、そして自分から見たり、聞いたり、触ったり、味みたりして言葉になることや言葉を理解したり発語に結びつくことになります

しかし、頭ごなしに「おいしいから食べなさいとかりんごよ」といった先回りでは心情や意欲や態度を理解しない教育の場といえます。 まさに狭・強・狂・怖・・育の場ではないでしようか。

 

養護の見直し 基本の第一歩は命を護ることです。

・ 散歩の帰り 保育園の目の前で事故、右足に残った傷、 一生心に傷・・指導計画の欄に予想される活動の立案や援助が幅広く記入されているかチェックすること。

  • 「みんなで平均台片付けて」、一斉に持って指が潰れた・・怪我をさせるような保育で援助の立案に○○を指示する、「なぜ、みんな」と問いかけると安全配慮のための記入がないケースと言えます。
  • 部屋の中に箒の壊れたのがあった・・目を返して・・環境構成に物的環境が立案されていない場合のため指導計画の段階でチェックをすること。

・ 入園式の前の日、園長の子どもが・・職員の灯油を片付け忘れ誤飲で死亡・・一人一人の責任がないために園内研修で基本方針と保育方針を明確にして自主・共同・協力の精神を確かめること。

・四時間もかけて給食を食べさせる虐待・不適切な保育の場を改めることです

 

環境構成は、ねらい・内容を達成するために、人的・物的・雰囲気を立案します。人的環境を通して相互作用で発達するという考えのために保育の場では、最も配慮して企画・立案することが求められます。

人的環境として「畑で働くお百姓さんの姿」の立案があれば、予想される活動として「黙って下を向いて歩く。おばさん何しているの。こんにちはと挨拶する」といった予想が立案できます。

そこで、このような立案があれば、どのような援助や対応するか。大きな声で挨拶しなさいという保育でなく『挨拶したくなる保育』を日常の中でどのようにしているか見直したいものです。

目標に人間関係として人とのかかわりや相手を大事にする保育を「ねらい」に持って立案と実践することです。具体的には、『○○チャンのようにこんにちはと挨拶できて気持ちいいね』と挨拶できた喜びを認め、受け入れることで意欲に結びつける実践を考慮したいものです。

今日、急に挨拶できなくても、小さな声で言っている子を 受入れ、傍で受入れられ・認められている保育を周囲の子どもたちに味合わせることで、次に挨拶したくなる雰囲気を作ることも大切と言えるのではないでしようか。

一人一人の行動を認め、全員に同じ挨拶のさせ方だけでなく「ねらい」にある心情・意欲・態度を 大切にした養護に包まれた教育を留意したいものです。

何故大切な方法かというと、ねらいの中にある発達の三つの柱の知識・技術、思考力や判断力など人に関わる力「態度」が求められていることと、社会で生活していくためには約束事として挨拶することもあるということを抑えた保育が大切と言えます。

このことはこども園・保育所の理念や目標に必ずあると思います。人や言葉を 大切にするために教育があることを 再確認しなければなりません。

 

物的環境として「人数分折り紙を用意する。数多くの折り紙を準備しておく。人数より少なく色紙を用意しておく。」といったことで自我能力「困難を対処する力」のためにもなります。

保育所・こども園・幼稚園における生きる力を 身につけるための教育の一つと言えます。このような主体的な環境を 準備することに対して『どのように四歳児はかかわるかを予想します』すると「一斉に取りにいく。順番を守らないでつかむ。じっと見ている。先生○○の色が欲しい。取り合いになる。丁寧に一枚ずつもつ。」などさまざまなかかわりをします

援助は「女の子からとりにいってください。 ○○グループ取りに来てください」「丁寧に取れたね。順番守れたね。 ありがとうが、言えて先生うれしいな」といった問いかけ、助言・共感をすることです。

このような援助により「生きる力」として主体的な行為、自分で選択する力、自分で見つける力、 自分から○○するという行為ができ、 自分で見つけた、できたという自信となり自立に結びつくことになります。これが将来の生きる力の基になり養護に包まれた教育の一つと言えます。なぜならば人間関係・環境に関わる力の発達などを育てる保育の奥の深さに結びつきます。

 

物的環境「紙飛行機をいくつか準備する。飛ばすことが困難な紙飛行機。遠くまで飛ぶ飛行機。飛ばした人のところまで戻ってくる飛行機など様々な紙飛行機を準備しておく」

ここで重要なことは「ひとつ」でない、知的発達を 大切にする保育実践をするための幼児がかわりたくなる環境構成をすることです。

そして、このような環境にどのようにかかわるかを 予想します。

予想される活動では「飛ばない・先生飛ばして・飛んだ、飛んだ見て・先生、折り方教えて、また、そばに立ってみている」など立案できます。保育士が指導したい内容でなく子どもの眼・耳・手・足などになろうという配慮が求められます。このような個人差を 大切にした予想をすることで援助が幅広く立案でき、実践が生きる力の保育所・こども園における養護に包まれた教育に結びつきます。

三つの柱の知的発達の中で感性を豊かにすること・感動する保育場面を見つけること、工夫することで教育「自分で○○する」 が成り立ちます。このような感性が育っていない生き方を している人は保育者にはむきません。

乳幼児からの様々なサインを 捉えるアンテナを もっていないということになります。 乳幼児の保育所・こども園での教育には保育者の感性が求められます。

 

三歳児保育参観日 親子でウサギの面を製作する時、物的環境として「うさぎの泣いた顔・怒った顔・笑った顔・虹色の顔など準備しておく。」このようにひとつの顔の表情だけでなくさまざま準備することで親子がイメージを広げることで「・・・たのしむ」 といった保育の場に結びつきます。

このとき保育者の素晴らしい説明と示し方を保護者に伝えることで保育方針を理解してもらうと同時に自分の子どもが様々な色を使ったとき『虹の顔になったね』という言い方を理解し一人一人の表現で「自分なりに工夫している箇所を認める保育実践」をします。全員が一緒でなく「みんな違ってみんな良い」という言葉があるように発達の個人差を抑えた教育を伝えたいものです。参観日は、子どもを授かった喜びを味わう日にしたいものです。

このように保育者や保護者から乳幼児は認められ・ 受け入れられている感覚により、愛されることで人を愛する態度になります。

母の日の顔を描くとき、全員に髪の毛は黒、眼は大きく前向いて、唇は赤、肌は肌色という昔の保育をしないこと、知的発達として「じっと良く母親の顔を見ている、髪の色・唇・肌など、すると様々な形や色を観察しているのが子どもです」全員に同じ色を使うことではありません。認知能力を理解し、育てることで失敗してもいいよ、間違ってもいいよ、自分で観察したことを見つけ、自分で選択して色を作ったねと自分なりに考え、工夫したことを見つけ、認め、知的発達を気づかせる養護に包まれた教育があることを把握したいものです。

簡単な例として香港の幼稚園では、肌色は使えませんでした、様々な肌の違う母親がいるからです。押し付ける教育でなく自分から・自分で観察し、真似し、工夫する時に知的発達が見られることを保育者として肝に銘じていなければなりません。

 

年長児合奏練習の場合、「○○の曲を準備する」『楽器○○を用意する』といった物的環境だけでなく「先生が楽しそうに○○する姿」『友達が仲良く合奏する姿』から「予想される活動」を立案し実践します。そこでは、上手に合奏させたり、歌わせるだけでないということ、静かに音を立てない場面から休符を大切にする、音楽指導により人とのかかわりを大事にした保育場面に結びつきます。音楽の場面を通して総合的な保育から生きる力を授けるのが保育と言えます。

 

温かい愛のある雰囲気として「笑顔の素敵な保育士が見守る姿」「優しく分かる言葉をかけて愛されている雰囲気作りをする」「スキンシップをしながら肌のぬくもりを与えつつ言葉をかけてオムツを替え、愛されている雰囲気作りをする」「気になる子に対して怒るだけでなく、褒める場を多くしてクラスの中で子どもを愛している雰囲気作りをする」保育の中で保育者の笑顔や優しい態度から、乳幼児は見守られている、愛されている、受け入れられているといった感覚になります。

このような失敗してもいい、間違っても良いといった温かい雰囲気から主体的な行動に結びつきます。雰囲気を立案することで保育者も意識をして実践することになります。

予想される活動は、環境にどのようにかかわるかを立案します。一人ひとりの個人差を抑えることで保育実践が幅広くなります。ここで注意する事は、指導したい内容を記入することではありません。例えば「参加する・世話する・楽しむ・気づく・調節する・清潔にする・整頓する」といった立案は見直したいものです。

例えば、四歳児の子ども・紐があればどのようにかかわるかを 『できるだけ多く予想してみてください』そして、その予想される活動に対して「どのような援助をしますか」記入してください。

 

また、三歳児の子ども・砂場があれば、何をするか。どのようにかかわるか「できるだけ多く予想してみてください」そして、その予想した活動に対して「どのような援助をしますか。その援助は、園の理念・理想・目的・目標・ねらいにふさわしい働きかけでしたか」自己点検・自己評価してください。

  • 予想される活動「砂山を造る。スコップで穴を掘る。スコップで川をつくる。水を汲んできて流す。砂を隣の子の頭にかける。花壇に咲いているチューリップの花に砂をかける。服をべとべとにぬらしても水を流す。鼻水が出ていても水を砂にかけている」
  • このような予想に対して援助の立案はどのようにしますか。そして実践はどうですか。見直す視点として「自由の後に責任がある」「放任保育をしていませんか」『養護として保健衛生的に保育士は○○する』など援助の中身について検討します。「大きな山が出来てかっこいいねと共感する」「川が出来た、長いね、面白いの造ったね」と共感する。「鼻水出ているから拭くと気持ちいいよ。拭いてあげるね」と手伝う。また、かむことができる子には「自分で拭いてねとか、かんでね」と指示する。「友達の頭に砂かけると汚くなるから駄目」「ちゅーりっぷが死んじゃうからかわいそう、辞めて」と助言や指示・問いかけをする。
  • また、自分ひとりだけの実践でなく全保育者が共通に働きかけるような立案をしているか見直したいものです。三つの柱 資質と能力「知識・技術、思考力・判断力・表現力。非認知能力」が砂場にあることを保育者として気づき、見つけ、援助に取り入れることが高校卒業まで続く教育といえます。

 

保育者の配慮・援助は、三つの柱=生きる力が育つように共感する・励ます・見守る・慰める・助言するといった言葉を記入したいものです。発達のため発達特性を抑えた具体的な働きかけを工夫し、立案することで幅広い実践に結び付きます。

 

折り紙の保育場面

環境構成 物的環境 人数分を用意する。取りやすい場所においておく。自分で選択できるように並べておく

人的環境 先生が楽しそうに折る姿、友達が失敗する姿、先生が間違えて折る姿

雰囲気  クラスの中で優しい笑顔で一人一人の折っている時を見つけ共感する温かい雰囲気を作る。

予想される活動   先生折れた見て、折れなくてくちゃくちゃにする。

援助        指の先を使って工夫して折れたねと具体的にほめる。

先生と一緒の形になったねと出来たものを重ねて共感する。くちゃくちゃにしていいかなと問いかける。

このような保育場面で、子どもの生きる力として主体的な行為となりやすい環境構成を工夫することです。

困難に対処する力と同時に自分から環境に関わりたくなる物的・人的・雰囲気を工夫することが保育の質が高められます。愛のある温かい雰囲気が満ち溢れているクラスによって子どもたちは主体的に人や物に関わる力となります。発達「三つの柱」を考慮してクラス全体を捉えることになります。

演習

縄跳びの保育場面

環境構成 物的環境 縄跳びの準備のあり方がねらいにふさわしい立案ができましたか。

人的環境 生きる力のためのモデルとして保育者や友達の姿をどのように考えましたか。

雰囲気 縄跳びの保育場面で自分は生きる喜びを与えられるような雰囲気が考えられましたか。また、生きる力が与えられるような雰囲気が工夫できましたか。

予想される活動  ただ縄を跳ばせるだけでなく様々な関わり方を立案できましたか。

援助       生きる力のための立案が工夫されましたか。三つの柱の発達を考慮するのがこども園・幼稚園・保育所における教育です。

 

朝の登園・挨拶

環境構成 物的環境 登園したくなる物的環境としてどのような構成がありますか

人的環境 挨拶する態度はどのようですか

雰囲気  笑顔が与えられるような雰囲気が立案されていますか

 

予想される活動   一人一人の保護者との別れ方を予想していますか

 

援助   今日一日、保育所・こども園で保育者や友達と一緒に過ごしたくなるための援助として慰め・問いかけ・励ましが立案されていますか。情緒的発達の第一歩が朝の場面の入り口と言えます。この養護に包まれて教育がある親との別れの場面として重要な保育です。

 

以上の立案についてねらい・内容・環境構成・予想される活動・援助の視点を話し合ってみたいものです。

 

「ねらい」に『慣れさせると育てる』という記入はない

 

ねらいは目標を より具体化したものであるとの説明があります。この ねらいは発達過程・発達の方向性であり、園の理念や理想、そして目的にある、乳幼児の最善の利益を考慮するならば言葉を選ばなければなりません。

ねらいはクラス担任が勝手に考えたものでなく、自分の願いではありません。目標をより具体化ということばの重みは、全員が保育課程・教育課程を基にしてねらいを立案し、大人の都合でなく乳幼児の立場になった一人一人の発達を大切にするための基本となります。

例えば、指導計画立案において『ねらい』の中に、四月や途中入所の乳幼児に対して「慣れさせる」とか『育てる』 といった記入がみられます。

乳幼児にとって慣れさせられるまえに、慣れるのに時間がかかる場合があるはず、そのような乳幼児に対して「温かい雰囲気を楽しむ」といった立案があることで情緒の安定が図られ、安心して「自分から○○する」という主体的な行動に結びつきます。

最初に、慣れさせることは乳幼児にとって本当に最善の利益か、それは保育者が「早く自分たちが楽になりたい」という大人の都合の立場でないだろうか考えさせられる記入です。

乳幼児が母親と一緒にいたい、過ごしたい、甘えていたい、別れるのは悲しいという心情を、まず理解することが保育のプロとして大切といえます。乳幼児が言葉に言い表すことが出来ない心情を理解するならば、「ここにいていいのだよ・見ているだけでもいいのだよ・音を聴いているだけでもいいのだよ・保育室の匂いをかぐだけでもいいのだよ」という温かく・やさしく見守る雰囲気を味あわせることが、情緒の安定を図るという養護の基本といえます。

慣れさせる前に乳幼児の立場に一度なろうとする保育を実践できるか見直したいものです。

また、乳幼児の心情・意欲・態度を大切にするためのねらい中で「○○を 育てる」という立案は、保育者の側であって乳幼児に対して「養護は・・を図る・する。そして教育は乳幼児の立場になった・・楽しむ、 味わう、広める、深める、しようとする」という言葉がすっきりします。

育てるという言葉は、 一見するとわかったような気持ちになるが、何とかさせたい、はやく育てたい、大きく伸ばしたいといった、ややもすれば乳幼児不在な保育実践に結びつくと思われます。辛いことや悲しいことを乗り切る能力のある子にとっては、「育てられる」 ことで楽しい保育所・こども園になる可能性もあります。しかし、自分の能力を表現できない子にとっては留意すべきです。一人一人の発達を見つめ、生きる喜びと生きる力を育てることが重要といえます。

この「慣れさせると育てる」といった立案は、大人の側の言葉であり、このような保育が強すぎるとできる子にはいいが、自分を主張できない子にとっては、さらに慣れるのに時間がかかり、 育つのにつぶされてしまうのではないでしょうか。

本当に養護の中にある命を守り、情緒の安定を図るという言葉を理解しているならば、一人ひとりの性格の違いや育った環境を考慮すると、温かい愛情が求められることで、情緒の安定が図られ、生きる喜びとなるはずです。乳幼児の心情を 本当に理解した保育者ならこのような言葉は差し控えたいものです。

心情「その人がその出来事にあったときの喜怒哀楽の情がまだ言葉になって表出されないもの・国語辞典」を参考にしたいものです。

ここで重要なことは、乳幼児が保育園・こども園の雰囲気に慣れ・育つ前に自分から環境にかかわりたいという温かい雰囲気を作るのが、指導計画の立案として大切といえます。

人的環境としてやさしい眼差しで可愛いと思って距離を考えて立つ姿を 示す。周囲の保育者や乳幼児が温かく見守る雰囲気を作る。色や音の刺激がありすぎるのでなく落ち着いた部屋にしておく。保育者や子どもたちが明るくやさしい笑顔で挨拶している姿を示す。

このような温かい、やさしい言葉が飛び交い、自分に対して可愛いと思っている保育者や乳幼児が周囲にいることで情緒の不安定なとき、悲しい・苦しい・怒りたいときの心情を癒してくれる温かい雰囲気として感じます。 そのようなときに保育者から「まわりを見ているだけでいいよ。友達の声を聞いているだけでいいよ。みんなのそばにいるだけでいいよ。ここの匂いを嗅ぐだけで今はいいよ』といったやさしい言葉を かけ、ぎゅっと抱くのでなく、また不安定に抱くのでなく、温かいぬくもりのある抱き方をして保育のスキンシップが与えられることで心が安定する保育の場になります。

保育の基本として、乳幼児が自分から環境構成に関わりたくなるための立案を自分の園で共通にすることといえます。また、一人ひとりが園の環境にどのようにかかわるかを予想するならば、自分の園の理念・理想・目的・目標・方針を抑えた実践ができているかを 時には見直したいものです。

やさしく・ぬくもり・笑顔といった愛のある雰囲気を どのように取り入れるかが立案のときの重要なポイントになります。常に乳幼児の立場になって自分の園の保育の環境をチェックする眼が大切となります。

改めて養護のねらいの言葉は『・・図る。・・する』

養護の内容「・・に対応する・‥を把握する。…の調節をする。…する。…を受け入れるようにする。…を適切に対処する。・・・過ごせるようにする」子どもの滋養協に応じて適切に保育者が行う事項。

そして教育のねらいの言葉は『・・楽しむ。・・味わう。・・広める。・・深める。・・感じる・しよう』といった心情・意欲・態度を大切にし

「内容では…遊ぶ。・・参加する・・・知る。…世話する」保育者が援助する事項として立案にしたいものです。保育者のすることに乳幼児の発達を大切にした立案が出来る事が望まれています。

飯田和也の「保育の基本」カテゴリの最新記事