お母さん僕の手〈技術〉ばかり見ていないで僕の目〈心〉も見つめて
飯田 和也
三歳児の参観日に親子で牛乳パックの独楽づくりの場面がありました。お父さんとお母さんが牛乳パックの四隅をはさみで切り込みを入れて真ん中にペットボトルのキャップを使って独楽を作る場面でした。親は三歳児がシールを貼ったり、クレヨンの青で○を描いたり、黄いろで描いたり、そしてピンクでハートマークを描くと「ママ見て・パパ見て」と言って親にかかわっている場面がみられました。
すると、お母さんたちは子どもの描いた花やハートマークを見て「上手」という言葉が聞かれました。その時、子どもたちの眼を見ると多くの子どもたちはお母さんの眼・お父さんの眼を見つめているのでした。
そこには子どもたちは〈こんなにも工夫して形描いたよ、見て〉「こんなにもピンクの色見つけたよ,ほめて」「こんなにも〇がいつもと違って自分なりに面白く描けたよ」という訴えているまなざしがありました。
しかし、お母さんやお父さんは手=技術が出来た場面しか見ていませんでした。親の顔,目を見ていた子どもは反応のない親の眼を見てすぐに目をそらすのでした。
このような親子の触れ合いからできた喜びを見ない・見れない・見ようとしない今までの教育の問題点と言えます。
特に、頑張ればだれでもできる・描けるといった精神論を重視してきた結果と言えるのではないでしょうか。子どもに技術や知識だけを身につけさせれば社会で生きていけるといった考えと言えます。
大学入試に取り入れられた〈思考力・判断力・表現力〉は幼児教育に原点があります。知識・技術だけでなく新しい発見する思考力、色や形が今までと違うことを判断する力、そして面白いことや不思議なことを見つけたとき、パパ見つけたよ・ママ面白いよ見てと共感を求めて親の眼を見つめます。
その時の子どもの自分には能力があるという自覚する時、パパから共感を得て自信をもつとき、さらにはママと同じ楽しい時があると感じて意慾を持つ時が生きる力を与えるチャンスです。ここに高校までに必要な思考力・判断力・表現力、そして知能テストで測れない忍耐・自尊心・自主性・生き抜く力が育ちます。
色を塗る技術・形をイメージして形を作る知識も大切と言えますが、最後まで我慢して集中して色を塗り、ハートの形を見つけて丁寧に塗った時の子どもが自覚して能力を見つけ、もっと描きたいという意慾をもった時のキラキラ輝いているまなざしを見つけて10年/ 20 年先の生きる力「心」を育てるのが大切と言えます。
幼児期の教育の大切さを再堪忍していただきたいものです。親は死ぬまで子どもの能力を信じて困難を乗り切る力を身につけさせたいためです。