国際子ども研究所 飯田 和也
保育者として考えた物的・人的環境と発達支援で子どもが主語となっていない、発達を保障していない実践を気づくための園内研修・研修会が必要です。
異年齢の保育で、ホールには鉄棒や大縄跳び・縄跳びができるようにホールを三分の一ほどのところで区切るため移動式のロッカーを使用して境を構成して広い方は運動、狭い方は常設の遊ぶところとして活動している保育場面であった。
ホールの壁の傍には鉄棒が準備され逆上がりの練習を保育者が指導していた。年長の子どもが壁に立てかけてあったブロックを補助にして逆上がりを試みている横で保育者が片手を差し伸べて「がんばって」『もう少し、がんばって』『もっと力いれて』と励ましている場面でした。
その傍で次の逆上がりをしようと順番で並んでいる子どもたちが『〇〇ちゃん、がんばって・がんばって』と声援を始めるのであった。
そして保育者が『がんばれ・がんばれ』と言って身体を支えながら壁のブロックを使って回ると『はい・次△△ちゃん』と言うと、
並んでいる子どもたちは「□□チャン、がんばって・がんばって」と大きな声援をすると、保育者は鉄棒の子どもたちには何も声をかけないで指導を終わるのでした。
そして、保育者は次に大縄跳びをして遊んでいるグループのところに言って『ハイ、大縄跳んで』と掛け声をかけてさらに「並んで」と数人に約束をしないで並ばせる保育場面となりました。
このような保育場面に対して点検・評価、そして改善しなければならないことを考えてみたいものです。
点検 物的環境について点検します。評価は、ねらいと内容にふさわしい物的環境かを子どもの立場ですると、鉄棒と縄跳び・大縄跳びで身体を十分使って楽しむには不十分でした。
それは大縄跳びと縄跳びをしている子どもたちが交差し、身体がぶつかりそうになっていました。キャスター付きロッカーで区切ってある場所を安全で広くすることができる事、何のためのキャスター付きかを配慮したいもので環境の再構成ができる事を瞬時に考慮したいものです。
改善として保育者の都合とした区切りであって、子どもが主語になっていないことを意識し環境構成には全員が改善しなければなりません。
「安全で十分身体を使って縄跳びを楽しむ」発達の方向性・〇〇園修了までに育つ事が期待される生きる力の基礎となる心情・意欲・態度を子どもの立場・主語となるように理解し物的環境を構成する力をもった保育者となることが求められます。
点検 次に人的環境について考察します。保育者は鉄棒の場面で「がんばれ・がんばれ」と声援して少し手を添えて発達支援をしていました。
この保育場面を観察していた園内研修の見学者に、この保育者は何をしたいか解りますかと問いかけると『・・・』しばらくして『鉄棒をがんばらせていました。』といった答えが返ってきました。
この様な「鉄棒をがんばらせている」といった観察だけでなく保育の奥の深さを理解するのがプロと言えます。
ここで子どもたちに保育者の態度がどのように映っていたかを点検します。評価として子どもにとって保育者の言葉かけと支援する姿が、子ども同士がどのように働きかけていいかという人的環境「モデル」になります。
「がんばれ・がんばれ」と働きかけ、がんばって逆上がりの技術を身につける教育が出来ると思い込んでいる保育者と言えます。
ここで重要なことは「がんばれ」だけでなく〇〇がんばっているねと言う言葉により、認められた・逆上がりを回るためにがんばっている心をみつけてくれる保育者の態度が、将来の生き抜く力に結びつく事を理解した発達支援が必要といえます。
子どもの心を大切にした子どもが主語になった援助を見つける事です。子どもたちの前で働きかける態度と言葉かけについて改善することが求められるモデルと言えます。
改善には、がんばってと励ますだけでは、保育者を人生のモデルとしている子どもたちには「がんばれ・がんばれ」としかいえません。精神論ではがんばる力はつきません。
働きかける改善として『〇〇をがんばっているね』「・・工夫できたね」『そのやり方面白いのを見つけて先生びっくりした』といった具体的に働きかけをすることで、子どもたちは「がんばれ」という声援だけから子どもが子どもの発達をほめる保育に結びつきます。
すると、保育者が傍にいなくても子ども同士が受け入れ・認める事で「〇〇チャンがんばっているね」とがんばる姿勢や態度に結びつき、温かい愛のある雰囲気が子どもたちの周囲に満ち溢れます。
このように愛されている雰囲気をつくることで保育室には子ども同士の発達「身体的・知的・情緒的・社会的・道徳的発達」が育つ場が保障された改善に結びつきます。
発達支援について 保育者として上手に逆上がりをさせるために『がんばれ・がんばれ』と言えば逆上がりが上手にできる、子どもたちも「がんばって・がんばって」と声援しているからいいとその場を離れても平気な保育実践は発達を保障せず間違っている事を理解する事です。
保育者としてがんばらせれば子どもたちもがんばるから良いという保育観ではありません。保育者がいない時に保育者の言葉や態度が、その後の子どもたちが周囲にいる子どもに対する言葉と態度に悪い影響を与えている事を自覚するのが発達を愛する保育者です。
子どもたちは他の子どもにただ『がんばって・がんばって』と言うだけでどのようにがんばって逆上がりをしたら言いか理解できない・ただ精神論だけのつながりで心から一生つながっていたいと言う感覚になれないことを意識しなければなりません。
保育者の環境構成と発達支援が問いかけ・励まし・慰め・共感・見守りなど具体的で適切に使う事で生きる喜びと生き抜く力に結びつく保育園における発達を保障する教育が求められます。