人とかかわる中で善悪の判断ができ迷惑かけない生き方が最も大切です。また、相手がどのように感じているか、どのように悲しんだり、悔しがったり、怒ったら、嬉しがったりしているかという言葉に言い表す事ができない心を受け止める場が友だちとの出会いにあり道徳的発達はします。
しかし、幼児期から自分さえ良ければ良い、人より出来ていれば良い、上手に踊れていれば良い、自分は言われたことをしているので問題ないという生き方から道徳的発達の「相手の気持ちを大切にする」生き方は身につくことが困難になります。
今、日本の中で若者を含めて相手が辛い・悲しい・苦しい・楽しいという心を感じたり、理解しようと言う態度が少なくなり、自分中心の生活をしている子どもや大人がいます。
また、母親が心配しすぎたり、文句ばかり言ったり、顔色ばかり気にしすぎたり、押しつけていると子どもは自分から○○する態度「相手の心を理解しようとする道徳的な態度」に結びつきません。
お母さんがこうやりなさいと教え込むのでなく、年上の子や年下の子との関わりの中で(道徳的発達「おもいやりや善悪の判断など」)が身についていきます。
例えば、友だちと一緒にテレビを見ている時に、年下の子がテレビの前に立っていると、年上の子が「前に立つとテレビが見れないから座って○○ちゃん」と優しく言葉をかけると、年下の子は「ごめんね」と謝ってその場に座る態度が見られ情緒の安定に結びつきました。
このようなすぐにかっと怒らないで優しく判る言葉の言い方で、自分は素直に心を開き相手の言葉を受け入れることで社会的ルールを身につけ、落ち着いた態度をとることができて情緒的安定となり、相手のいやな事を理解する場面でした。
机の上にコップやナフキンを出して一緒におやつのイタダキマスをする行為を待っている年上の子どもたちがいました。
二人の子どもたちが力を合わせて机を運んでいる姿がみられました。この机を運ぶ時年下の子のために年上の子が相手の力を感じて、同じ力加減になるまで待って一致し相手の能力に合わせて持つことができていました。
このように年下の子どもの能力を気づいたり、相手の力を感じて力加減する態度、相手と合わせることで年下の子へのおもいやりとなる道徳的発達の原点が見られました。
家では我慢することや相手と合わせる場面が少ない自由な生活する状態が多いと思われます。家庭以外で生活している場面や遊んでいる時に、年上の子や年下の子とかかわることで自分の能力や工夫して考えること、人とどのように関わるとお互いが快いかを見直したり、忍耐したり、相手と合わせる時や場面が与えられます。
このような友だちと関わる中で「善悪を判断したり、思いやりを気づいたり、人とあわせる能力」を身につけることになります。喧嘩をしたときに相手が言葉に言い表すことができない悔しさ・辛さ・悲しさを友だちが代弁してくれることで相手の気持ちを気づきます。
この喧嘩している時に、大人は喧嘩両成敗と言うのでなく一人ひとりの悔しさや哀しさを共感することを友だちの前でモデルとなり、悲しさ・苦しさ・辛さ・いやなこと・そして楽しい事を代弁する姿を示す事で子どもたちは「子どもの立場を理解してくれる大人」がいる事を発見します。
そして、友達の言葉にいえないときの心を代わりに言ってあげられる態度を育てることが最も大切と気づいていくのです。同じ歳の子だけでなく年上や年下の子どもとの遊びの中に善悪の判断・思いやり・人と合わせる生き方を身につけていきます。お母さん、仲が良い子だけでなく、様々な友達とのかかわりをじっくりと見守ってあげてくださいね。
園長 飯田 和也