「こんなに出来ないでどうするの」「もっと頑張れ」と言って暴力・暴言を振るうのはやめて先生・お父さん・お母さん

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「こんなに出来ないでどうするの」「もっと頑張れ」と言って暴力・暴言を振るうのはやめて先生・お父さん・お母さん

  

今、スポーツの世界で、大声・暴言・脅し・暴力などで頑張らせれば勝利となる。指導者がこのような考えでオリンピック・国体・様々な大会で勝たせるための指導と言う名の基に働きかけ、勝利した者の心に傷はない場合が見られます。

 

しかし、勝てなかった人間には一生心に傷をつけていることが問題となっています。様々な分野で励ますつもり、指導しているつもりで相手にこちら側の意図することが通じなくなっていることを、大人や指導者は再確認しなければならないと思います。親として子どもと触れ合う時にも全く同じで、傷つけている場合を見直したいものです。

 

例えば、縄跳びの前とびがまだできない・逆上がりがちっともできない・跳び箱が跳べない・ひらがなが上手に書けない・数が数えられない・○○チャンはできるようになったのに・・・。

このような子どもの状態を見つけると、これぐらいの事が出来ないで○○にはなれない。もっとやらないからダメだ。何度も練習すれば誰でも出来るようになるだろう。そして、親として毎日・毎日頑張らせている場合が見られます。

 

しかし、親が縄跳びもそばにいて見ているだけで終わったり、無関心、わあ、上手としかいえない触れ合いがみられ劣等感を与えている場合もあります。

 

また、最初に跳び始めた時と比べ、子どもが工夫した事を見つけないで、ただ頑張れば跳べるという精神論で終わる態度が見られます。

また、小学校になってから漢字やひらがなを学習する事があります。ひらがな・カタカナ・漢字を学び始めても、なかなか丁寧に・きちんとひらがなや漢字が書けない子が多く見られます。よく観察しているとひらがなはパッパッと書き、漢字もサッサッと力を入れないでただ書けばいいというだけの場合が見られます。

 

そのような子どもに対して「ゆっくり・ていねいに書いて」「何度もゆっくり書けば書けるようになるよ」「ノート一ページにたくさん漢字を書けばいいよ」「がんばれば大丈夫」といった指示をすると子どもは勝手に解釈し、ただ書けばいいという態度になる場合が見られます。

たくさん書けばほめてもらえるという態度となり、一ページの四角のます全てに半分だけ、例えば行人偏だけ書いて後から残りを書いて速く多く書けば、ほめられるといった態度が見られる場合もあります。また、性格的にせっかちで早く書く・書きたいといった場合も見られます。

 このようなひらがなや漢字の書き方が乱雑・せっかち・集中できない・持続できないなどに対して、次のような精神論でなく知識や技術を具体的に伝える事でガラッと代わる事も見られます。

 

 例えば、頑張れでなく相手の能力にあわせる努力が周囲の大人に求められます。さて、このような態度の子どもには、じっくり書くにはが良いのでないかとヒラメキました。書道の筆ペン筆の入れ方を丁寧にして最後は心をこめて停めるという指示をすること、そしてその時に、丁寧に書けるモデルと書いた時の誉め方により丁寧に書けた喜びとなります。

 

 それが自分にも丁寧に書けた・書く自信に結びつくためには[ママ、丁寧に書けた見て]というサインをだします。この子どもからのサインを見つける眼を養う事、そして温かく笑顔で、「この字の最後が上手に心をこめて・停めたね」と共感する態度が求められます。そして、鉛筆に替えます。

 

 このように漢字を書くときの環境を工夫することで、書けたという自信となり、書くことへ自分でも書けるという自立になります。すると、もっと書きたいというという意欲ができます。

 このような筆の使い方を通して我慢する態度・集中出来る力をもつことになります。参考にしていただければ幸いです。

 

 頑張れという精神論だけでなく子どもの性格や能力に合った道具「筆」と具体的な「筆の使い方と最期を書けた個所」の共感により、生きる力となります。      

                     

                       園長 飯田 和也

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