高校生・大学生になっても漢字を正しく読めない・文章が書けない、計算が満足に出来ない、自分勝手で思いやりが育っていないということが問題視されています。小さい時からの教育のあり方が見直ししなければならない時と話題になっています。しかし、大人でも乳幼児でも知的に「自分が○○を気づいた」その瞬間、眼はらんらんと輝き、聴く力を最大限に開いてすべての言葉や音を聞き逃さないように集中し、その時の言葉や状況を自分のものに「しよう」という態度は誰にでも見られます。幼児が水に触って『冷たい・温かい・気持ちいい』と感じたとき、不思議・あれ何か違う・今までと変わったと自分で考えている時の態度が見られます。その時、子どもは眼が輝いて自分から確かめようとし、感触を味わうために「自分で○○する」行為があります。又、桜の花ビラが散っているのを見つけて『あ、桜が散っている』と感動して言葉を出している四歳児もいます。五歳児が紙飛行機を何度も失敗しながら折っているとき『こうだ』とうまく折れたとたん笑顔を見せることがあります。しかし、このように子どもが『出来た』『見つけた』『聴いた』『面白い』という態度を示しているチャンスを見つける眼・聞き分ける耳・嗅ぎ分ける鼻・味わう口・指先の感触を磨くことがお母さんや先生には求められています。このような聴き上手や受け入れ上手な生き方が出来るお母さんや先生になるには『ハイ・見なさい・聴きなさい・話しなさい』といった押し付ければ身につくということではないということを理解しなければなりません。小さい時に家庭で生活しているときや遊んでいる場面で、眼が輝いているときが身体的・知的に発達していることだと見極める大人の力が必要です。『○○しなさい』『早くしないと・・ですよ』「こうすればできるでしょう、へたね」「もっと××やればいいでしよう」など周囲からの押し付けでは知的発達を身につけることが困難になり、眼は輝いてはいません。幼児期に重要なことに子どもは言われないでも『自分から○○する』主体的行為を大人が温かく見守ることです。しかし、狂ったように期待過剰な育て方、押し付けて強制しすぎる態度、あなたの生きる道は△△だと狭い偏った育て方、出来なければ□□あげませんよと脅してやらせれば身につくという考えで、親が中心となった主導では幅広い知的発達はできません。 大学生で夜のバイトが忙しくて講義中うつらうつらとしている学生がいました。そのような学生を含めて一人ひとりに「昨日お母さんに何回有難う言いましたか。」『お母さんから何回有難う言われましたか』という質問をすると「5回、数えられない、たくさん言いました」また「いわなかった、最近親に会っていない」という言葉が返ってきました。次に「親からいつ幸せといわれましたか」と質問すると『たまたま、昨日実家に電話したらあなたが元気でいるだけで幸せといわれた』こんな学生がいると同時に「いつ言われたか覚えていない」という答えがほとんどでした。寝ている学生はうつらうつらとこれらのやり取りを聞いていました、そして『自分は言われていないし言っていない、又、忘れてしまった』と言う返事でした。そのあと保育者になるというこの学生は乳児への指導計画と実践について説明を始めると急に髪の毛を左手で直し、ノートに私の話で大事なことを考えて書き始めました。また資料に「朱いれして」というと眼はらんらんと輝き、机に乗り出して黒板を見つめ、資料に線を引き、すべての言葉を一言でも聞き逃さないという態度になりました。このようにたとえ眠くても・疲れていても『自分にとって大切なこと・必要と感じると』起きなさいと押し付けなくても自分から○○する態度となっていることを味わいました。人に知的能力があることを気づかせる教育には、相手の眼・耳・手・足になろうという配慮とかかわりたくなる環境を準備し、受け入れ・認め・共感する大人である条件が必要と教えられました。 園長 飯田 和也