現在社会の中で若者の行動をみていると「しつけ」ができているかどうか、また「しつけ」ができていないのではないかという疑問が出てくるような場面に出会います。電車の中にて大声で騒いでいる女子学生、走り回っている子どもたち、水道の水を出しっぱなしにして止めることもしない小学生などさまざまな場面に出会います。 「しつけ」のよい子とは一体どのような子どもをいうのか考えさせられます。「しつけのよい子」とは、基本的には社会の中で行動するときに、自分勝手な行動をしないで忍耐をもって、周囲にいる人の立場を理解して行動すること、また社会に適応する力をもち、生きる喜びを身につけたことも大切といえます。具体的には、
1)さまざまな環境に適応できる体力が育っていること。
2)適度の苦労に対して乗り越えてきていること。
3)困難を乗り越える知識と技術が身について生きる喜びをもっていること。
このようなことが、友達とのふれあいや人との中でできていてしつけのよい子として見られます。
歳をとってから行動を変えることは難しいけれど乳児期に「しつけのよい子」といわれるように育てたいものです。第一にさまざまな環境に我慢できるような生き方を身につけたいものですが、周囲にいる大人に我慢が要求されます。暑い時に少しの我慢もさせないで、すぐにクーラーの部屋に入れて、汗もかかせない触れ合いをしすぎたり、転んだとき少しの打ち身・怪我にもかかわらず大げさに対応しすぎたり、お菓子が食べたいと要求があればさっと与えすぎたりしていませんか。
このような触れ合いから熱に弱く・痛みにも耐えられず病気にかかりやすい体質にしていませんか。
暑さ・寒さに耐え、少しの痛みにも我慢でき、さまざまな環境の中で耐える体質になるように日常の生活での生き方から生きる力を育てたいものです。汗をかき、少しの怪我でもびくともしないたくましい体力を育てるために、乗り切るように大人の温かい見守る触れ合い、その中で「おおらかさ」をもって、多少のことに対して見守ると同時に怪我や病気に対しては正しい対応する知識や技術を身につけていたいものです。
また、お菓子の袋が空けられないとき、苦労させないで手をかけていませんか。服の着脱が出来ないとき手をかけすぎていませんか。友達とけんかをするからと遊ぶことをとめていませんか。話すことができるのに一語だけですべて許していませんか。幼児期になっても可愛いから、まだできないだろうから、「危ない」という考えで子どもの能力を無視した過保護のしつけをしすぎていませんか。
三歳の年少組の子どもに対して「紙」という一語だけで要求してきたときに「紙がどうしたの?」という問いかけをしていますか。このように困らせ上手な触れ合いをして適度の苦労を体験することが将来の行動に影響を与えることになります。適度な苦労する体験を家庭の状況にあわせて工夫する勇気を、大人がもつことも幼児期には大切といえます。
さらに、友達関係で辛いとき、どうしていいかわからないとき、使いたいときに使いたいものがないときなど困ったときに乗り切ることができる知識・技術を身につける生き方を親子で悩み、工夫する態度を養うことを大切にしているかということになります。小学校・中学校そして社会に出たときに乳幼児期のしつけの答えが現れます。我慢する体力と気力を身につけさせ、困難に出会っても乗り切る知識と技術をもたせるために、親は子どもの対して自分が辛かったことを”どのように乗り切ってきたか”を具体的に話すことも重要となります。ただ「がんばれば誰でもできる」といった精神論だけでは子どもはまったく理解できません。