飯田和也の保育の基本 2025 8/15
子どもは、ほめて欲しいところのサインを出していますよ
「パパの面白い顔が描けた・見て」するとパパは『上手、でも、もっといい男だぞ』そこにはパパのひげが点々と黒く描かれて、ひげを面白いと見つけて描いたパパの絵を眺めている子どもでした。
ここで重要なことは、大好きなパパの顔を描いて見せたい、その時パパにはひげがあることを見つけて描けた喜び、そして、観察し判断し表現したところを見てほめて、欲しかったという子どもの心を共感してあげたかったことです。ここが伝えられたら一生の宝物ですね。
「ママ、茶碗、洗うの手伝う。」と言ってごしごしと茶碗のはしを洗って「ママ、きれいになったよ」というと『きれいね
女の子はいつも洗っているが、茶碗のはしの汚れを見つけてそれをきれいにするとママ、きっと喜ぶかもしれないと手先に力を込めて、きれいにしたところを見て欲しかったことだと思います。子どもはいつも同じでなく工夫し・忍耐も付き、能力を自覚し自信を持ちたい子もいます。
かかわる大人は、子どもの行動を無償の愛で受け入れることと、よく観察することで発達の変容が見られます。子どもが主語の世界を時には覗いてみたいものですね。
「お兄ちゃん、紙飛行機よく飛ぶようになったよ」と今までの折り方のストーンとすぐ落ちる飛行機と、違ってまっすぐに長く飛ぶ飛行機を作りたくて失敗しても、何度も挑戦して飛ぶことを見つけた男の子がいました。すると兄は「折れるようになった。もっとぎゅっと折るといいぞ」と教えると、「違う」と怒ってくちゃくちゃにして泣き始めるのでした。
今まで長く飛ばないのはどうしてか、自分なりに考え、我慢して最後まで折れたのを飛ばすと長く飛んだ。違いを見つけ考え新しい発見して、考えて折ることができてよかったところを認めて欲しい場面でした。子どもの行動は当たり前ではないですね。決めつけるこちらの態度の反省ですね。
保育室で「先生見て」とブロックで自分の家、車庫、お風呂、ベッドと色を赤はベッド、車庫はブルー、お風呂は白と形と色を整えたり、なかなか入らないブロックの位置を力の調節をして入れたり、力を込めて抜いたり、工夫して作り上げた後に『見て・見て』という言葉でした。先生は「わあ、面白い」というだけであとは言葉がありませんでした。
子どもは『え…』「何も言ってくれないの」と不満そうな顔をしたが先生は全く子どもからのサインを気づこうとしませんでした。家の形と色使い、車庫・お風呂等自分なりにデザインして気にいったブロックの家が完成し、想像したこと、そして創造的に表現したことを受け入れてほめて欲しい場面です。
このように子どもはただ遊んでいるからいい、楽しそうに手伝っているからいい、集中しているからこの子は発達=自我能力・主体性を身に付けているので安心だというかかわりではありません。
生活している今の生き方がなんでも上手に、出来ればいいというのではありません。子どもの10年/20年先の生活の基礎が幼児期の親と先生、友達に愛される経験の教育から生み出されます。
家族の温かさ「笑顔とぬくもりのある温かい雰囲気」と同じように養護=命の安全・情緒の安定として親や保育者がすること、そして困難を乗り切る心と自分で〇〇する力をこども園・保育園・幼稚園で身に付けて生活しています。
子どもから『ここを工夫したよ』「こんなの発見したよ」「友だちの工夫しているのを真似したよ」「先生の肌のぬくもりお母さんと一緒だよ」全員違ったサインが出た時に、気づき、あなたは困難を乗り切り、笑顔とありがとうの感謝で生き抜く知恵を持つ教育を受けています。
様々な知識と技術の中で、上手にすることを高めるだけでなく、子どもは、それまでの行動とちがった新しい発見、違いを判断でき、間違っても自分なりに表現できたところを気づいて生きていって欲しい、そんなかかわりを大切したいお父さん・お母さん・先生です。
家庭と保育場面で、昨日の自分とは違っているよ、チャレンジしている眼、我慢して最後までやり遂げる力、物や人へのおもいやり、そして劣等感でなく自分には一つでいいから自信をもって生き抜く力があるという自覚できる場が幼児教育といえます。
幼児教育の体験が50年先にも温かい愛のある雰囲気が心に残っていて、人類や地球を大切に生きていって欲しいという願いを込めてまとめました。