<!– /wp:paragraph — こんな先生〈なぜか・どうして〉を気づかせてくれる人に習いたい、自分の言葉を使い・自分で考える生き方が身につき一生の生き抜く力の基礎ができるから。 元名古屋柳城短大教授 統括園長 飯田 和也 ダンス・踊りの場面から、幼稚園・保育園・こども園・小学校で先生と言われる立場の人の言葉の使い方があまりにも差がありすぎます。子どもたちに指導する言葉で直して欲しいのが「なぜか」ということを教える言葉をつかえない先生です。 ダンス・踊りの指導の時に上手に曲に合わせて踊ればいいという考えで「はい、手をもっと上まで上げて」「はい、さっと立ち上がって踊る」「バタバタしない」このような言葉をかけて形・ふりをうまく見せればいいという先生が中心・主語の指導法は問題です。 何が問題かというと、子どもにとっては〈形さえ上手にすればいい〉先生の言われたようにできればそれで自分はいいという考える力が育たないままで終わってしまいます。 子どもが主語であるならば自分の頭で考えて行動「踊れるようになった」できるようになった、新しい発見「こんな踊り方」をして考えられる力がついた。今までと違う形を判断して創造しふりを見つけた、そして自分なりに工夫したことを人前で表現できた喜びになった。このように様々な資質と能力を身につけて社会で自立していく生き方を育てる教育が望まれます。 踊りの中で先生が中心〈主語〉の指導法では,全く自分で考えなく指導者の言うとおりにしていれば終わってしまい、子どもには踊りを創造する資質や能力が少ししか残りません。 踊っている時に失敗・間違いなど当然子どもは知っています。音と合わない、友達とふりがズレている、早く動いた・遅かったなど判断している子どもたちが大勢います。 しかし、ほとんどの先生はこのように子どもに間違ったことを、優しく・わかる言葉で理解させていないことです。そして、子どもの踊る資質と能力を見極めて伸ばす力を持っていない先生は、自分の踊る知識と躍らせる技術を伝えるのが素晴らしい教師と考え違いをしている日本の教育界です。 子どもは「なぜ自分は間違っていたか」「どうしてうまく踊れなかったか」「どうして友達と一緒のように合わせることが出来なかったか」など自分で気づいている子どもたちが多くいます。しかし、気付けない子どもも大勢います。 一部の子どもの失敗・間違いを見つけて全員を同じように指導し、厳しく指摘しすぎて子どもたちに踊ることへの劣等感を与えている場合が問題の教師と言えます。一人一人の表現力は違いがあることを理解して、踊りの資質と能力を男女の区別なく育てる指導者が求められます。 特に、このような子どもの気持ちを理解できなく言葉をかけられないダンス・踊りを指導しなければならない初心者や踊りが得意でない先生に教えられている場面は子どもにとって悲惨となり逃げだしたくても逃げられない雰囲気は地獄と言わざるを得ません。言葉で言えないために顔で怖いよ、面白くない、もうやめたいというサインが出ている狂・怖・強育の場面を少なくすることが幼児教育の改善となります。 保育場面で技術を伝える時には指導者の技術と知識だけでなく子どもの発達=三つの柱「1知識 技能 2思考力 判断力 表現力 3非認知能力」を会得して特に、2 思考力 判断力 表現力を高める教育が求められます。 大学入試に結び付いていることを幼児期から大切と理解する保育者として働きかける幅広い実践が求められます。 このような中で子どもに対して〈なぜか〉を解かりやすく瞬時に温かく伝えられる教育場面の光る先生がいます。 「お母さん座りしているとすぐ立てなくて次の動きが遅れるよ」「大好きなAちゃんの動きを真似すると一緒の踊りになってきれいだよ」「舞台の赤い印をチラッと見て、隣のMちゃんと手つなぐと次が動けるよ」「踊っていない子、どうするの」と問いかけ「後ろで歌って応援してね」と黙って待っている子どもたちに対して〈どうして・なぜ〉という考えを自分で考える癖をもたせて主体的行動できる生き方を踊りから伝えている先生です。 先生の資質と能力として踊りが得意で大好きな雰囲気を持っていることが必要です。さらに、子どもの発達について知識を持とうとしている姿勢があり、子どもが主語という教育を大切に指導する先生と言えます。特に、踊りの知識と技能だけでなく踊りを通して思考力を身につけ、様々な判断する場があることを見つけて気づかせ、上手でなくていいという子どもの自分なりの表現力を育てようという教育の考えを理解する先生と言えます。 また、子どもの資質と能力である第三の非認知能力で面白いから挑戦しようという意欲を持たせる明るくはっきりした言葉遣いでモデルとなる踊りができることと言えます。さらに、クラスの中には上手な子どもだけがいるのでなく踊りは好きだが、ふりとか動きは苦手で友達と一緒に踊るだけで、楽しいと感じている子を仲間に引き入れ卒園までに上手になればいいという教育観を持っている先生になることです。 例えば、立つことが出来ない、しゃべることが少ししかできない、しかし、クラスの仲間といることで生きている喜びを味合わせることです。仲間のそばにいて一言、友達の近くで手を振り、歩けなくても友達に優しく歩行器を押してもらい観客から拍手をもらい笑顔を見せられることで共に生きている場・時を大切にする踊りを人生の宝物にしようとする教育観です。 最初はそばで見ている時、そして友達と一緒に手をつないで音に合わせ動くと楽しい/面白いと感じることを味合わせる温かい雰囲気を作るのが保育のプロと言えます。 練習が終わった時に「最後まで頑張れて素晴らしかったよ」と三つの柱のひとつ、非認知能力の我慢して最後までやり遂げた力を共感し、生き抜く力を身につけるほめ上手な保育が求められます。 このような子どもの育ち・発達を見つけて心から一緒に楽しく高まろうという先生が幼稚園・保育園・こども園・学校の中にあふれれば素敵な日本という国になると信じています。