忙しい・他に助けてくれる保育者がいないという理由で、自分の保育・自分の園のことしか考えられない『井の中の蛙』になっていませんか。
飯田 和也
井の中の蛙・「いの中のかわず」「広い海を知らない蛙のように自分が持っている狭い知識だけで何でも推しはかって済ます浅はかさのたとえ」
国語辞典・三省堂。
自分の保育の立案や保育実践を自己点検・自己評価するときに他人の評価を受けて初めて自分だけの狭い知識ということを気づくことがあります。
公開保育の反省と評価をする時、この「井の中の蛙」を気づかせられます。しかし、長く保育をしていて他の保育者の立案や保育実践を見ないで自分の癖・偏りになっていることを気が付かないのが一生懸命に保育するベテランといえます。
忙しいから月案だけ・週案だけをメモ程度で立案してごまかしている保育者。自分が立案した「ねらい」と『内容』の言葉が混在していても、保育指針の説明を受け理解しているから良い、今まで子どもを大切にした実践で自分の保育は問題ないと勝手に考えている保育者。
隣のクラスが実践している事と方法が違っていても乳幼児を大事にしているから自分の方法で良いと誤った考えを気づかない保育者。五領域で幅広い発達を捉えていなくても子どもが言う事を効いているからと反省・評価しない保育があります。
またさらに、多くの公開保育場面で見られる事例
・養護を五領域『健康』と混同して、生活習慣の自立をさせ乳幼児に身につけさせる教育と養護は保育者が命を守り、情緒の安定を図ることの違いを気づかない保育実践。
・ねらいと内容を立案する時に、『楽しむ・味わう』と教育要領・保育指針・子ども園に両方とも書いてあるが、園で統一していなくて各保育者がかってに解釈して上手にさせることが当たり前と思っている保育。
・ 未満児の保育で保育者が黙って「朝の歌をピアノ・オルガンで伴奏をすると全員が歌う。しかし、保育者は子どもたちが歌い終わっても何も言わないで、次には曲の名前も言わないで、季節の曲を間違えないで前奏を弾くと併せてリーダーの保育者もサブの保育者も身体をつけて楽しそうに歌う。
しかし、歌い終わった時、誰も何も言わないでさらに違う曲を弾いて歌わせていた。このように未満児は発する言葉が少ない中、保育者も「問いかけ・助言・共感・励まし」など発する事が少ない雰囲気が当たり前と思っている保育。
・ 紙芝居、手遊びを始める前に全く約束をしないで黙って読み歌い始める保育。
・ 給食などの当番で保育者の代わりをさせれば良いと思い『子どもが迷惑をかけたり・悪い場面を見つけて当番に叱らせている保育。』
このような公開保育が見られ、その後の公開保育についての反省会で、点検・評価そして改善をする研修会があります。その研修会において「自分の保育の癖」が判りますか。
又、他人の保育を観察して自分の保育の偏りを見つけ、改善に結びつけることができますか。と言う問いかけをすると『まったく癖がわからない』「偏りが理解できない」『今まで実践していたことでどこが悪いか』と言った相手を受け入れない態度になる保育者がいます。
いかに今までの実践は、ひとりよがりのかってな保育と言えます。従って『井の中の蛙』と言う言葉に結びつきました。
どうしてこのような態度になりやすいかと言う一つに『先生・先生』と子どもたち・保護者・周囲の大人から言われていると自分は何でもしなければならない・できる態度を示さなければならない・失敗してはいけない・がんばって生きなければならない・他の人に迷惑かけてはならないといった態度を持ち続け、できるのが当たり前と言う生き方を求められている考えになりやすい。
周囲の人から意見を聞く態度が少ない謙虚さに欠けてしまうことも見られます。そして、理論や知識を身につける時間がないといったことを理由に勉強・研修しなくなり、一人で推理してごまかそうと言う生き方に結びつく傾向となります。
従って、謙虚さを失う職業と言う意識を持つ事、自分よりできる人は周囲にいくらでもいると言う自覚を持って生きること。
職員の一人ひとりが聞く耳をもつこと、特に、特別な関心を持って相手の言葉を聴くという態度が必要です。じっくりと時間を割いて聴く態度や場・時間を園長は準備して保育の質を高める方針とすること。その雰囲気は職員お互いが子どもの発達を大切にするために自由に話し合うことを園長が保障すること。
客観的な点検・評価を受けるために公開保育をして外部から様々な視点で刺激を得て話し合うこと。
そこでは理念・方針などについて検討する場を設けること。基本は子どもが主語である最善の利益で子どもが大好きだけでなく、知識や理論を高めようと言う保育者集団が求められます。
井の中の蛙にならないためには、乳幼児の発達に関する知識や理論を園内研修で、全員が検討して統一する努力が求められます。