正月休みについて

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                                    飯田 和也

 

七夕・クリスマス・音楽会や発表会などホールでは暗幕をすることで、観客から踊る姿がきれいに見ること、歌や合奏そして演技をしている子どもたちや参加している人たちが集中できます。そのようなホールが真っ暗な時に暗幕が少し開いたりしていると、差し込んでいる光の方向に人々の眼が向いて注意が踊りや演技に集中できない場になります。

 

 このような暗幕の大切さを感じることの鈍い保育者が時々います。自分の近くに光が差し込んでいても、全く感じないで舞台で踊っている子どもたちや合奏している子どもたちを平気でにこにこと見て自分も楽しんでいる保育者です。

 

同じように、保育室にてリーダーの保育者がクラスの中で紙芝居・手遊びしている時に補助の保育者は子どもと一緒に観客になっている時があります。このときに子どもが紙芝居やぺープサート・手遊びを観察している姿から(これは見づらいと瞬時に感じて子どもを移動させる保育者)そのとき子どもたちを紙芝居・ペープサートなど見やすい場所に移動して(個々から見ると良く見えるね)環境の再構成が出来る先生がいます。

 

しかし、この子どもが見づらいと全く感じないで一生懸命に自分の視線で見ているだけの保育者もいます。

このように感じることの鈍感な保育者に対して、他の保育者が近くで暗幕を閉めていてモデルとなっているからきっと「次に真っ暗なホールに光かさしていたらきっと暗幕を閉めるだろう」と言った考えは、感じない感性の鈍い相手にはすぐには通じません。

 

(真っ暗な中に光が入っていたら子どもも観客も注意・集中できないでしょう。見つけたら自分から必ず閉めること)といった言葉で指示をする事と何故閉めなければならないかと言う根拠を伝える事で自分の感じ方、そして自分で考えて判断する生き方を理解させる指導が求められます。

 

また、「子どもの立場になって見られる場所に移動できるようになるだろう」といった考えは捨てざるを得ません。このような環境の再構成を瞬時に出来ない保育者は、聴く力や見る力は身につけていても(人や物・事象)を感じる力が育っていないと言えます。

 

すると感じる力の鈍感な情報入力が弱い(ここで暗幕を閉じる必要があるかどうか取り入れる力のない)生き方となります。さらには、暗幕を閉じる大切さの情報を持つ事がないために、自分で閉じるかどうかという判断・考える力が弱い場合が見られます。

 

掃除をしている姿を示していれば周囲にいる実習生や保育者は真似して「掃除をするだろう」という願いは、ほとんど通じません。「掃除を何故するの」と問いかけてもはっきりと答えられない場合が見られます。

 

ほうきの履き方、ぞうきんの絞り方と畳み方で同じ方向に拭くのですよ。そしてなぜ大切かは養護の基本として汚れていて転んだり、片付けてなくてけがをしないように命を守るため、また、蜘蛛の巣がはっていたり、汚れていることで病気にさせない保健衛生にする事が方針ですよ、朝登園した時のそのままの姿で帰りに親に渡すためです。

 

このように見せるだけでなく具体的に根拠を説明することがリーダーとして求められます。

保育者として感じる力が弱いと、自分で多くの事を勝手に解釈した独りよがりの態度や聴く態度が悪いという評価に判断されることになります。園長・主任・リーダーは、この感じる力を新任や園全体の職員に身につけさせる必要が求められます。

 

このような独りよがりの保育者や考える力や判断力がない場合には、(一番後ろの席に座っている子は、どのように感じているか見てごらん)と一番後ろの席の子の視点に成るように、子どもの頭の高さになってごらんと子どもの頭の高さまで下げて保育者の手遊び・紙芝居・ペープサートを見させました。(見えないよ)というだけでは何故かと言う根拠を理解できない保育者に育ててしまいます。

 

感じることの弱い保育者を指導する時には、人的環境としてモデルだけでなく、判る言葉として子どもの眼になって見る、子どもの耳になって声・音を聞く、そして、子どもの視線で捉える能力を身につけさせるため、具体的に聞いてごらん・見つめてごらんといったことが求められます。そして、子どもの発達を大切にした園の方針を理解することを伝えなければなりません。

 

何故、感じる力が弱いかという事の一つに、小さい時から刺激が多い環境の中で情報がありすぎて感じなくなっている場合もあります。物や人、事象が視覚的に多すぎ、音が生活の中であふれていたり、人から言われすぎて感じない、そのために自分で必要なものを探し出せないといった行動になっている場合も見られます。

 

感じる力を身につけるには、見なさい・聴きなさい・まねしなさいだけでなく、何故必要かといった指示することと具体的に根拠を説明し理解させ自分で考えることと言えます。そして、組織として子どもの命を守り、発達を保障するためには、約束事の一つ一つを丁寧に・具体的に・リーダーも一緒にしなければならない事が必要と言えます。

 

感じない人へは、短大・大学を出たから知っている、勉強してきているから技術も会得していると考えるのでなく、保育現場に対しては何も知らない・知識も不十分である、最初は失敗するのが当たり前、見守りも大切です。

 

しかし、いつまでも受け入れ・許すことはできません。園全体の保育の質を高めるにはリーダーは出来ていない時・感じていない時のタイミングを見つけ言葉をかけることと根拠を判りやすい言葉で伝える努力が求められています。

 正月休みは短い期間ですが、子どもと過ごす時間が多くなります。クリスマスや正月という子どもにとっても楽しみな休みのひとつです。

 

 正月休みには、かるた・トランプ・すごろく・福笑い・凧上げ・独楽回し・はねつきといったこの時期にしか体験できない様々な遊びがあります。

 

 これらの遊びには、身体発達の身のこなしとして身体全体を使って凧揚げや羽子板での羽根突き、手先を使った独楽回し、知的発達として言葉を伸ばすかるたとり、数の概念を広げるトランプやすごろく、情緒の発達にかかせない福笑い、家族や友達と一緒に楽しむ社会的発達、そして小さい子へのおもいやりとして道徳的発達といった場が与えられます。正月の遊びを体験させる事でわが子の一年間に成長・発達した姿を見ることも楽しみな一つになります。

 

 昨年の正月には(おめでとうございます)と言えなかった子が「今年も宜しくお願いします」「新年あけましたおめでとうございます」とはっきりと挨拶できるようになったり、着るものが小さくなったり、短くなったり、靴のサイズがかわったことを感じることも家族にとって「子どもを授かった喜び」を味わう場が与えられます。

 

 また、短く忙しい家事の間にわが子の大きくなったと感じる事を観察し、記憶にとどめこれからの一年間の成長・発達を楽しむ事が出来る正月休みにしてほしいものです。日本的な正月の遊びをしている姿から「聴く・見る。感じる」力がある事をぜひ見つける事、そこで、わが子にはものを捉える力がある事を信じる力を持つのがこの冬休みです。

 

 トランプの神経衰弱では数の捉え方を理解し、カルタ遊びを通してひらがなの読み方や様々な言葉があることを見つけた、もっとひらがなを見つけたいと言う意欲が育つのがカルタと言えます。又、手作りの福笑いなどを通して家族や友達と(おかしい・面白い)という感じることを味わい家族で感情を豊かにする場が福笑いにもあります。すごろくでは、さいころを振って数を見つけ、それを合わせる・足す・一緒といった算数には様々使わなければならない言葉があることを体験できます。このように正月の遊びを疎かにしなければ、身体的・知的・情緒的発達を保障する事ができます。

 

 しかし、正月遊びを始める時には必ず「約束事」を親や年配者は具体的にわかり易く伝える事が重要になります。最初に約束を伝え、間違った時には、ゆっくりと何度も丁寧にルールが世の中にはあるということを説明し、理解させる努力が大切になります。最初が肝心でルールを示し・説明していないと約束を守れない(わがまま)な生き方に結びつきます。

 

 今、日本の教育界では「自分で考える力を育てる」事が最も問われています。教え込めば良いのでなく「自分から遊びたい」と言う意欲を身につけることです。それには家族がじっくりと楽しむ姿を見せ、カルタ・トランプなど笑顔の中で温かい雰囲気を示す事です。

 

 子どもは母親や父親の笑い声を聞き、優しい笑顔の態度を観察できます。すると家族でお互いが愛し合っている人間関係を感じる事ができます。ここで重要なことはいがみ合ったり、言い争ったり、取り合ったり、喧嘩したり、文句を言い合っている時や場には、子どもは聞きたくない、争う場には見たくなくなります。自分から「見ない・見ようとしない・感じたくない」という態度を育ててしまう事になります。

 

 このように正月の休みに(自分から聴く・見る・感じて味わう)という気持ち・そして自分からカルタやトランプをしたいという意欲を一年の中で最も作りやすいのが正月休みです。

 

 特に、家族団らんの中で正月遊びを楽しむ雰囲気を味わうことで困難を乗り切る力と自分から○○する力がつきます。この自分から○○する力が学校に行ってから学力の基礎になります。 

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