一人ひとりが愛されていると感じるモデル 飯田 和也
保育者として、乳幼児が生きる喜びを与えられ、生きる力を身につくためのモデルになることが大切になります。そのためには、保育室で明るく優しい笑顔と可愛いと思って見つめる眼が必要になります。乳幼児は保育者の温かい眼差しのある人的環境で安心し情緒が安定します。もっとも大切なのが保育者の笑顔があることで母親のやさしい雰囲気を瞬時に感じて自分は愛されていると感じます。営業の心のない「にたにたした」笑顔でなく、子どもを心から可愛いという心情で見つめられることです。
乳幼児がかかわりたくなるためには、保育者の受け入れる雰囲気が求められます。人見知りをしている乳幼児に対して、保育者がどのように乳児の気持ちになっているかによって相手も態度が変わります。保育者として、何とか一生懸命に泣き止まそうという気持ちと、この子は対人認知に優れて人を観察する力が多くあり、感性がもっとも鋭いから自分と乳児の距離を考え、向きも考慮しなければならないと認識していればテリトリーの中に入りすぎたり、大きな声を出しすぎたり、立ったままで触れ合わないことが大切と確信して配慮する態度をします。そして、この子を心から可愛いと思って見つめればきっと人見知りをしている乳児は心を開いて泣かない場合がある保育実践に結びついた行動になります。
乳幼児が自分のことを受け入れている人的環境を瞬時に判断することを理解したかかわりができるようになります。
また、保育者が「ありがとう」の言っている姿を保育室で示す姿により、周囲にいる乳幼児が認められている、受け入れられているという感覚になります。この保育者が園長や主任、保護者や子どもたちに『有難う』という言葉を発する態度により、保育室には温かい愛のある空間ができます。このような温かい雰囲気が保育者の人的環境・モデルによって導き出されることで、乳幼児は保育者の話をじっと聴く態度が育ちます。優しい雰囲気をかもし出す保育者がいる保育室には、保育者から認められていることで『先生、こっち見て・見て』と自己主張する態度は必要ないという姿になります。また、自分のことをしっかり見てて、そして、他の子ばかり可愛がらないで、自分ひとりだけ見ててという嫉妬心を持つことが無くなります。保育室の中に一人ひとりが大切にされている雰囲気を出す人的環境があれば情緒が安定し心にゆとりが出て落ち着きのある保育室になります。
・朝登園してきた時に、保育者が明るく・元気に「おはよう」と保護者や先生同士、子どもにもあいさつする人的環境が乳幼児の一日の始まりに大きく影響します。保育者が小さな声で元気なく、顔の表情が暗いと出会った乳幼児や保護者は瞬時に不安となり、元気が出ません。又、挨拶の出来ない黙ったままの保育者、下を向いて顔を見ないで挨拶する姿、小さな声で通らない声の保育者から一日の始まりに対して楽しいと感じられなくなります。
例えば、家庭の中で嫌なこと・辛いこと・悲しいこと・苦しいことがあっても乳幼児から『おはよう』と元気な声をかけられたら嫌なことを忘れさせてくれる保育という仕事です。保育者は乳幼児から「生きていて良かった・保育と言う仕事で元気を授かった・辛いことや悲しいことを忘れることが出来た・子どもから生きる力を授かった』という生きがいを与えられる出会いです。このように乳幼児から困難を乗り切る自我能力を与えられていることを、乳幼児に返すことが保育の奥の深さと言えます。ただ、知識や技術を教えれば良いというのでなく人間として子どもから教えられることを、乳幼児に生きる喜びを与える場に立ち会える感動があります。
毎朝、保育者として子どもから生きる喜びや生きる力を与えられていることを、乳幼児に保育という営みの中で大事にするチャンスが朝の登園といえます。母親と明るく・元気で別れる子と今日は甘えたい・一緒にいたいなど様々な態度があります。家庭で親子が辛いことを保育という場で、乗り切る力を身につけるのが朝の登園の時のチャンスです。保育園全体で乳幼児が登園してきた時、全員の保育者や職員の笑顔と温かい雰囲気の中でちょっと抱いてくれただけで安心すること、優しい言葉をかけてくれるだけで親子は保育園に来て良かった、これで安心して母親は仕事に行ける、子どもは先生の笑顔と明るい挨拶を聞いて保育園にいても安心する気持ちになります。
保育者の人的環境」乳幼児と一緒に楽しそうに遊ぶ姿を見せたり・示す
保育室では、乳幼児と楽しそうに遊ぶ姿が保育者には求められます。いつも忙しい姿からは遊んでくれない保育者・言葉にならない喜怒哀楽《心情》を認めてくれない態度で、自分のこと見ようとしない・聴こうとしない・一緒に遊ぼうとしない保育者には心を開きません。
例えば、追いかけっこ「警察と泥棒、色鬼、高鬼、大縄跳び・かくれんぼ」など子どもと一緒に鬼になったり、逃げたり、明るく、元気な声を出して遊ぶ姿を示したり、時々失敗したり、一緒に笑ったり、真剣に怒ったり、共に泣いたりする姿を子どもたちは見ることで、この先生に自発的にかかわりたいという人的環境に結びつきます。保育者が人的環境として明るく・元気で一緒に遊ぶ姿を示すには、大好きな子どもたちの能力に合わせるための知識や技術が必要となります。鉄棒・縄跳び・マット・プールなどで《頑張れば誰でも出来る、もっと頑張りなさい》という精神論を振り回すのでなく、できない時の子には劣等感を与えない指導の知識や技術を持っていることです。保育者として指導のあり方を会得し自信を持って、子どもの発達の特性を抑えた教育に結びつけるのがプロと言えます。
子ども同士が遊ぶ中で身体・知的・情緒・社会・道徳的発達を見つけるときに指導技術を会得していることで、前に比べると身のこなしや手先の使い方、音を聞いたり・友達の姿を真似して身につけようと自分で考えたり、子ども同士が《○○チャン上手になったよと拍手し、こうすると出来るかも・・》と言ったかかわりを見つけることができます。このような子ども同士が教えあったり・ほめあったりして能力を身につける時に精神論でなく、身につける技術を理解しあうことで生きる力の教育に結びつきます。
子ども同士のかかわる姿を《可愛いなあ・失敗してもいいよ》と言った温かい眼差しを与える雰囲気を人的環境には必要と言えます。