飯田 和也
この文章は、約二十年前にウィン・ウェンガー著、渡辺茂訳「頭脳がよくなる」三笠書房刊の中で見つけ、今と同じように保護者への手紙「共に育つ」を毎月出していました。そして「世界で一つしかないもの」飯田和也講演録・花書房に掲載したテーマです。
最近の小学生・中学生・さらには大学生におけるいじめ・自殺・殺人などのテレビや新聞報道によると、幼児期の環境や教育の影響が問題に挙げられています。
大学の教育や社会体験だけでは、人間関係や人間の生活に関する行動や態度を発展させるために行う教育では遅すぎるという結果を改めて見直した次第です。
最近の様々な事件や出来事を通して教育は、十年先・二十年先に花開くということを再確認しました。
さて、この本によると「ブルーナーは、子どもの認識は(そしておそらく知能も)早期に適切な体験を豊かにすることが、成人してからよりすぐれた能力を発揮する鍵である。従って幼児期の教育が重要である。」としています。
また、同書の中でジョージ・クライルは「息子を良い大学に入れるか、良い幼稚園・保育園に入れるかの選択が許されるなら私は良い幼稚園・保育園の方を選ぶだろう。なぜならば幼稚園・保育園の方がどんな大学よりも息子の人生にはるかな大きな影響を与えてくれるから」と言う見解を述べて幼稚園・保育園の教育の重要さを力説しています。
幼児教育は幼稚園も保育園も同じ質になっています。幼稚園も保育園も子どもが朝、登園して来たそのままの姿で保護者に返すことです。これは小学校でも中学校でも知識や技術を与えていればいいという考えだけではありません。
命を大切にする先生、命の大切さを教え人間の生活する態度として人にかかわること、社会的ルールがあること、人に迷惑かけないこと、善悪の判断することを身につける幼稚園・保育園・小学校の教育が重要です。
しかし、幼稚園や保育園の教育の中で「人を大切にしなさい、こうすればできます、ルールはこうです、、、。」と先生が頭ごなしに教え込めば出来る教育ではなかなか身につきません。
自分が愛されているから人を愛するというかかわる体験が幼児期には求められます。しかし、幼児期は悲しいこと、苦しいこと、いやなこと、嬉しい時に言葉で表すことが出来ないことがあります。
このようなときの心情、また感情を豊かにし表現する能力を幼児期に育てる事が最も求められる教育といえます。ではどのよう育てるかと言うと言葉で言い表す事が出来ない悲しみ、辛さ、苦しさ、嬉しさなどを受け止めるアンテナを持っていなければなりません。
そして、周囲の大人や子どもたちが受け止め共感をする態度が必要となります。この言葉で言い表す事が出来ない場面を共感され代弁されることで自分は愛されている、認められているといった感覚となり人の感情を少しずつ理解します。言葉で伝えられない時に代わりに応えてくれる人がいれば幸せと言えます。
しかし、辛い時や悲しい事、嬉しい場面を受け止められなく無関心な態度ばかりを与えられると、その人[先生やお母さん、友だち]の近くは行きません、又、見て・聴いて・触ってと言うサインをその人には出しません。
愛情の反対に何をしていても無関心と言う態度もあります。子どもにとっては一番嫌いな触れ合いとして、友だちや先生から無関心・無視する態度や雰囲気が家庭や学校から無くなって欲しいものです。
大人が温かくかかわる態度や優しい笑顔で受け止める雰囲気を与える事で子どもは「自分で○○する」態度や人を愛する人間関係や、善悪を判断し人と一緒に行動する大切さや判断力と社会的知識が身につく教育となります。
乳幼児は「失敗してもいいよ・間違っていてもいいよ」と受け止めてくれる大人や友だちがいる場面では、安心し自分の言葉に言い表す事が出来ない心情を表現します。
お母さん、「先生」今日、一日何回子どもを褒めましたか、
お母さん、[先生]今日、一日「有難う」を何回いいましたか、
お母さん、「先生」今日、一日子どもといる時何回「幸せ」と思いましたか、
お母さん、[先生]今日、一日何回一緒に悔しがりましたか。
大学では遅すぎます、子どもが子どもを褒める幼児「家庭」教育、
それにはお母さん・先生が「ありがとう・○○だね・出来る姿が見られて幸せ。・・・を工夫して素晴らしい・失敗して悔しいね」と言った心情を見つけた言葉かけで言葉が発達し感情を豊かに表現でき、人とのかかわりで迷惑をかけない態度、ルールを見つけ善悪を判断する力とルールを守る生き方を幼稚園や保育園そして家庭で身につける事が望まれます。
このことは家庭教育でお母さんの共感する態度により、可愛いと心から思う笑顔と失敗してもいいよという温かい愛のある雰囲気により、十年・二十年さきに自分の命を守り、人の命を大切にし、人に迷惑をかけない、善悪を判断し社会的生活する態度が身につきます。
良い幼稚園・保育園とは、
子ども同士のかかわりの中で温かい愛に満ち溢れた雰囲気があります。
子どもたちが穏やかな態度で情緒的に安定しているかは笑顔の素敵な先生や子どもたちに満ち溢れています。
そして、先生や友だちから愛されているから人の話をじっと聴く態度が育っています。
さらに、子どもを心から愛している保護者の笑顔に包まれています。
乳幼児が困難を乗り越える力と主体的な行為を見つめ、
一人ひとりの発達を子どもに気づかせ、保護者に発達を具体的に伝え、
身体的発達・知的発達、そして社会的体験を豊かにし、道徳的発達を保障しようと努力している雰囲気が満ち溢れている園といえます。
良い大学より、良い幼稚園・保育園に入れる事の大切さ
最近の事件から幼児教育の再確認をしたいと以前の資料を読み返して書き直しました。
参考にしていただけれは゛幸いです。
この文章は、約二十年前にウィン・ウェンガー著、渡辺茂訳「頭脳がよくなる」三笠書房刊の中で見つけ、今と同じように「共に育つ」を毎月出していました。
最近の小学生・中学生・さらには大学生におけるいじめ・自殺・殺人などのテレビや新聞報道によると、幼児期の環境や教育の影響が問題に挙げられています。大学の教育や社会体験だけでは、人間関係や人間の生活に関する行動や態度を発展させるために行う教育では遅すぎるという結果と言えます。
さて、この本によると「ブルーナーは、子どもの認識は(そしておそらく知能も)早期に適切な体験を豊かにすることが、成人してからよりすぐれた能力を発揮する鍵である。
従って幼児期の教育が重要である。」としています。
また、同書の中でジョージ・クライルは「息子を良い大学に入れるか、良い幼稚園・保育園に入れるかの選択が許されるなら私は良い幼稚園・保育園の方を選ぶだろう。なぜならば幼稚園・保育園の方がどんな大学よりも息子の人生にはるかな大きな影響を与えてくれるから」と言う見解を述べて幼稚園・保育園の教育の重要さを力説しています。
幼稚園も保育園も子どもが朝、登園して来たそのままの姿で保護者に返すことです。これは小学校でも中学校でも知識や技術を与えていればいいという考えだけではありません。命を大切にする先生、命の大切さを教え人間の生活する態度として人にかかわること、社会的ルールがあること、人に迷惑かけないこと、善悪の判断することを身につける幼稚園・保育園・小学校の教育が重要です。
しかし、幼稚園や保育園の教育の中で「人を大切にしなさい、こうすればできます、ルールはこうです、、、。」と先生が頭ごなしに教え込めば出来る教育ではなかなか身につきません。
自分が愛されているから人を愛するというかかわる体験が幼児期には求められます。しかし、幼児期は悲しいこと、苦しいこと、いやなこと、嬉しい時に言葉で表すことが出来ないことがあります。
このようなときの心情、また感情を豊かにし表現する能力を幼児期に育てる事が最も求められる教育といえます。この言葉で言い表す事が出来ない場面を共感され代弁されることで自分は愛されている、認められているといった感覚となり人の感情を少しずつ理解します。
愛情の反対に何をしていても無関心と言う態度もあります。子どもにとっては一番嫌いな触れ合いとして、友だちや先生から無関心・無視する態度や雰囲気が家庭や学校から無くなって欲しいものです。
お母さん、「先生」今日、一日何回子どもを褒めましたか、
お母さん、[先生]今日、一日「有難う」を何回いいましたか、
お母さん、「先生」今日、一日子どもといる時何回「幸せ」と思いましたか、
お母さん、[先生]今日、一日何回一緒に悔しがりましたか。
大学では遅すぎます、子どもが子どもを褒める幼児「家庭」教育、
それにはお母さん・先生が「ありがとう・○○だね・出来る姿が見られて幸せ。・・・を工夫して 素晴らしい・失敗して悔しいね」と言った心情を見つけた言葉かけで
言葉が発達し感情を豊かに表現でき、人とのかかわりで迷惑をかけない態度、ルールを見つけ善悪を判断する力とルールを守る生き方を幼稚園や保育園そして家庭で身につける事が望まれます。
良い幼稚園・保育園とは、
子ども同士のかかわりの中で温かい愛に満ち溢れた雰囲気があります。
子どもたちが穏やかな態度で情緒的に安定しているかは笑顔の素敵な先生や子どもたちに満ち溢れ ています。
そして、先生や友だちから愛されているから人の話をじっと聴く態度が育っています。
さらに、子どもを心から愛している保護者の笑顔に包まれています。
園長 飯田 和也