国際子ども研究所 飯田 和也
日本と同様にインドネシアも地震があり、東北大地震の保育中の話が共感されました。日本では以前はインドネシアのように子どもの教育は〇〇が出来るように押し付けて学習させる事が中心であったが特に、地震のあとの津波による被害から養護に包まれて教育があるという『命を守る』と言うことが第一にする保育の事例を話すことで共感されました。
その養護の説明では、「前と後ろの縦に二人一組になって前の人は目を閉じて黙って後ろに倒れることを三回します。後ろの人は倒れてくる人に怪我をしないように三回受け止めてください。そして一回目は不安で倒れることが出来ない、しかし、三回目になると安心して体を後ろの人に任せる事ができます。
この体験は信頼関係がついていることになります、子どもと先生、園と保護者が信じあえることで園に子どもの命を預ける事になります。地震のときや津波に出会っても親は子どもの命を守ってくれる先生たちがいることで安心し信じられます。」
この演習で笑いと納得の場面になりました。さらに、会場の人たちに日本で保育中に津波が襲ってきた時の話しをしました。園の駐車場まで園長に「車を取りに行って」といわれ津波が来る方に向かったとき靴の片方が脱げても走って取りに行き、瞬時の判断で『小学校で会おう』
各自の判断で避難した。いつもは国道を全員が避難すること、しかし、道路は事故と渋滞のためそこを通って避難していたら全員津波に巻き込まれて亡くなっていた。各自がとっさの判断で裏道を通って命を守り助かった保育。
また、避難所では水がないため流れてきたコカコーラの車の水を分け合い生理的欲求を満たす保育、オムツ代わりにタオルとガムテープを使った事、朝起きると運動場には遺体の山のため園長先生は「子どもたちに遺体を見せないで」と叫んで心に傷をつけない保育をした。
逃げる場所がなく屋上に布団やマットを敷き、夜寒さのため真ん中に先生たちの膝に赤ちゃん、そして回りに年上の子を座らせ、屋根にブルーシートをかけ雪をしのぎながら『ママは』と言われたときに、血が出るほど歌ったり、のどがかれるまで手遊びをしてできるだけ笑顔とぬくもりで朝まで情緒の安定の保育をしたこと、
又、子どもの手を引いて津波の中を逃げるとき『これで自分は保育士と言う肩書きで死ぬのだ』という言葉を通訳していただいた時には通訳の人が感動して涙となり、さらに会場には涙があふれるのでした。
又父親が地震の後保育園へ迎えに行ったとき津波に巻き込まれ気がついたら病院のベットの上、津波から3日たちやっと避難所に迎えに来る事ができた、その間飲み物や食べ物、着るものを与えたり、命を守り、病気にならない保育が養護と言う説明をしました。
特に、養護で心の安定のために演習で「隣同士目を閉じて手を握り合って下さい」しばらく何も言わない雰囲気を作り、「この真っ暗闇が不安な気持ですよ。
子どもはおかあさん置いて行かないで、ママ・どこ」という状況のときです。そして「隣同士手を握り合って下さい。握りたくない人もいますが手を握って下さい。握るとかさかさの人がいます。汗ばんだ人がいます。冷たい人がいます・・・。しばらくして伝わってくるのが肌のぬくもり、抱き上手な保育です」
このような説明をすることで会場には笑顔と笑い声があふれ、お互いが肌のぬくもりを確かめ合う体験となりました。
小さい時に温かいぬくもりの愛のある雰囲気を味わう事で生きている喜び・生きていたい意欲を持つ事になります。保育者と乳幼児には,甘えを受け入れる「絆」ができるのが養護と言えます。
そのための方法として「先生、今日・何回子どもにアリガトウを言いましたか。先生、今日・何回子どもに幸せといいましたか」と言う問いかけをしました。先生に愛されている子どもは人を愛し、人の話をじっと聴く態度が育ちます。
そして、子どもが子どもをほめる保育を話したことでお互いが受け入れる力・認め合う生き方・ほめ合うことで生きる力の発達「自我能力=困難に出会っても逃げないで乗り切る力と自分で〇〇する・発見は自分でするという主体性」を身につける養護に包まれて教育があることを再確認した研修会になりました。
インドネシアは多数の民族のあつまりで「多様性の中の統一」という国家の標語がある中、スキンシップの大切さと温かい愛のある雰囲気の環境が幼児教育には必要と言うことをインドネシアの先生たちに伝える事ができた演習の一つでした。
ジャカルタまで四時間、五時間かけて参加した人、遠くは10時間かけて参加した人など熱心な態度と笑顔の素敵な会場ができたことは、乳幼児を愛する心は世界中同じということを再確認した研修会でした。