初めての場所で何も言えなくなったわが子に対して

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保育の基本 81 郵便ごっこから教育を考える

                                                              飯田 和也

 

 郵便ごっこを通して年長組の子どもたちは、郵便局に行ってポストにおじいちゃんやおばあちゃんに書いた手紙を入れたり、切手を買ったり、局員の動きを見学したり、また郵便屋さんが手紙を配達したりする姿を通して手紙のやり取りを楽しむこととなりました。

 

 この見学で重要な体験は、真似したくなる雰囲気としての環境があることです。子どもが興味・関心を持つような郵便局での品物・人の動き・道具など面白そうだとか変わったものということが大切となります。従って、保育者として何のために見学したり、体験させるかと言う根拠を理解することです。

 

 ごっこあそびを保育に取り入れるには、ただ、郵便局の人とか配達する人、葉書を受け取る役割をさせるだけでなく知的発達・社会的発達を大切にして将来、生きる力になる郵便局見学かを選択する保育の計画が元になります。

 

 このような子どもにとって発達に相応しい環境であれば、手紙を書いたりすることと、それを受け入れるポストを作ったり、配達する人的環境と物的環境を準備する事で手紙を書きたくなる雰囲気となります。

 

 ごっこで大切なことは《自分で考え・工夫して見つけ・気づき・まねしてつもりになったり、振りをする主体的な行為をする》力を子どもが持っていることを気づくことと子どもに気づかせることと言えます。

 

 例えば、郵便ごっこなど○○ごっこと言う体験を遊びとして取り入れるには、過去の経験が大切になります。子ども同士が共通のイメージを持つことで初めて○○ごっこが成立します。

 当然、共通のイメージを持つことが出来なければ、つもりになった振り・見立てる持ち物が共通になりません。ごっこの成立には過去の再現フイルムをするための条件が必要になります。自分だけの勝手な想像では相手と合わせることが出来なく○○ごっこになりません。

 

 このごっこ遊びが確立するには、言葉の理解が幅広くあること、観察力があり、人物の模倣したくなることで知的発達を身につける教育となります。乳幼児が観察力のあることで、見る・聴く・嗅ぐ・味じわう・触るなどを充分に楽しみ・味わい・広め・深め・自分からしようという意欲を持たせることがごっこを始める条件となります。

 

 ただ、保育者が放任保育の遊ばせておれば、知識や技術が自然と身につくという狭育の考えや方法ではありません。子どもたちはすき放題・やりたい放題と言う状況下では郵便ごっこは始まりません。

 

 子どもたちはどのようにごっこをして遊んだら良いか,理解できない子がいるとじゃましたり、騒いだり、かかわりがもてないためにばらばらな雰囲気となってごっこに結びつきません。  また、手紙を書いて友達にあげなさいという教師主導の保育では長続きしません。子どもの能力にあってなかったり、過去の体験に相応しくない場合となります。子どもたちが郵便局や家庭で見る葉書や封筒を気づくこと・郵便屋さんの赤い自転車や赤い自動車そして身につけている帽子やかばんを理解し、幼児が面白い・楽しそうだなと感じることが重要になります。

 

 郵便ごっこを通して手紙のやり取りをしたくなる意欲を与える温かい愛のある雰囲気をかもし出すことが重要な保育の環境となります。

 

 郵便ごっこを通して偏らない発達の視点を保育者として、五領域でねらいと内容を考えて指導計画を立案します。何故、《ねらい》が大切かは、郵便屋さんの振りをさせればいい、手紙のやり取りをさせればいいという偏った保育実践をしないためです。ひらがなを書ける子にとっては楽しい郵便ごっこだけではありません。能力に差がある子どもたちです

 

 ひらがなやカタカナがかけなくても友達や先生との手紙でのやり取りを見ているだけで楽しんでいる子もいます。ねらいは様々な楽しみ方や味わい方を充分に理解し、自分のクラスの子どもたちの過去の体験に合わせたり、能力を見極めることで立案が異なります。その日に上手に手紙を書いたり、郵便屋さんになって配達しない子が多く居ると言うことを理解しなければなりません。

 

 保育者の都合で《ねらい》を立案しないことで将来の子どもたちが、様々な環境に対して「自分で○○する」という主体的な生き方を気づいたり、自分には能力があるということを信じる時と場の温かい愛のある環境を保育者が構成することです。子どもの眼や耳になろうと言う心遣いがなければ「ねらい」は偽者です。偽者の《ねらい》からは自分からと言う自発的な環境でないために子どもはやらされたり、押し付けられるために身につかなく教育に結びつきません。

 

 ねらいの文にはさまざまな文字を楽しみ手紙のやり取りを先生や友達と楽しむ、郵便局で不思議なことや面白いことを味わって楽しむや配達人を理解しようとする、といった発達の方向性として立案します。

 五歳児の発達は一つではありません。言葉・人間関係・環境・表現・健康の五領域が絡み合っているのが郵便ごっことなります。

 

 物的環境として葉書が準備されていて、友達の郵便番号をわかりやすいようにクラスに貼って示してあることがクラスの中に必要となります。温かい愛のある空間としての雰囲気が立案されます。その雰囲気の立案には「ひらがなやカタカナ・漢字の書ける子が、書いた手紙を読んでくれる温かい愛のある雰囲気を作る」と言った立案ができます。

 

 《書いた字に対して文句やけちを言わない相手には出すという温かい人間関係を配慮する必要です。保育者は、子どもからの手紙に対して具体的にほめ・共感する場を説明したり示すことです。このような保育場面からクラスの子どもたちは書かれたひらがなや絵を○○チャン上手だねと言ったほめる場面に結びつきます》

 

 内容として健康では、身体や手先を充分使って手紙を作ったり元気で明るく、手紙を運ぶ。人間関係では、友達の書いた手紙をケチや文句をつけないで上手に読む関係を作る。環境では、手紙を理解しひらがなやカタカナを知る。友達の郵便番号や住所を知る。葉書の書き方を知る。言葉では、ひらがなやカタカナを理解する。○○チャン手紙・葉書です、郵便屋さんですと言って配達する。表現では、自分なりに文字を書く。ひらがなでなく絵で相手に伝える。

 

 このように内容は、ひらがなを上手に書かせれば良いという保育実践でなく、将来困難に出会ったときに乗り切る力と自分から○○するという主体的な行為を身につける教育のために絡み合っていることを充分に把握することが条件になります。当然、発達の個人差や多面性、そしてクラスの中の様々な環境に相互にかかわって子どもたちは発達していくと言う理論も理解していることになります。

 

 郵便ごっこでは、過去の体験したことを思い出し、自分もかかわりたいと言う雰囲気を立案し保育者も一緒になって楽しむ姿が求められます。従って「ねらい」と《内容》に相応しい環境構成が物的・人的・空間としての雰囲気を立案する重要なことと理解できます。

 

 このような環境にどのようにかかわるかは「予想される活動」欄に立案します。このときにクラスの過去の経験がばらばらなために郵便ごっこを展開するには未経験の子どもたちが多いと判断したならば郵便局に見学に良き共通のイメージを持つ体験となります。

 

 この《予想される活動》は、体験の違いと能力の差、また、家庭環境が異なっているために全員が同じ行動にならないと言うことです。従って、郵便ポストのある家庭、手紙が良く来る家、郵便局に家族で行く体験、ひらがなに興味持っている子、漢字を理解し書きたい子、ひらがな書けないが絵なら伝えたいという子など発達の個人差を把握していなければ立案・記入は困難です。

 

 郵便ごっこを通して子どもの発達支援は、ひらがなが上手に書き、絵でうまく表現していることだけをほめるのではありません。自分の郵便番号を理解した時に「郵便番号を解かったね。友達の郵便番号も知っているのだね」と共感することで社会的発達としてルールがあることや住んでいる地域が様々違っていることを身につけた時を見つけて相手に能力があることを気づかせるのが教育となります。

 

 「○○ちゃん,あそんでくれてありがとう」と言う文章で一字が間違っていたり、書き順や逆さ文字、途中の文が抜けていても「○○違う」「・・が下手」という言葉でなく、書いてくれて有難う、私に届けてくれて有難うという気持ちを大切にする人間関係を育てることで文字がかけた・絵が書けて届いたという一つの自信が生まれることで手紙ごっこを一人でも書けるという自立になります。

 

 この一人で文字や絵が書けるためには文句を言われなければ自信となって自立できます。そして、自立ができるとほめてくれた先生や友達に書きたいとなり、届けたいと意欲がわきます。そこで、届いたのをケチつくことなく届くとこれでいいのだと言う確信となります。自信となるには多くのことを周囲から要求されない、届くだけで良いということです。失敗していても自立できるためには温かく見守るという保育をクラスの中で示すことです。この愛のある雰囲気が生み出されことで生きる力の教育に結びつきます。

 

 郵便ごっこは保育者がいつもいなくても、クラスの子どもや隣のクラスにもいる子ども同士のかかわりに,愛が満ち溢れていれば子どもの発達に結びつきます。そこには、

 身体「字や絵を書く事で手先のはったつ、配達人として動く事で身のこなしなど」

 

 知的「人の真似をしたり、言葉のやり取り、観察したり、工夫することなど」

 

 情緒「愛のある雰囲気の中で自分を認められ・受け入れられることで心が安定するなど」

 

 社会「郵便を通して手紙・はがきの使い方、文字の理解、郵便番号の知識、地域の理解、さまざまなルールがあることなど」

 

 道徳的「ともだちを受け入れほめること、相手に合わせる態度、思いやる心等」さまざまな発達が郵便ごっこには身につく教育となります。

 

    郵便ごっこは、五領域で発達の偏りをなくした指導計画の立案をすることです。

 

 発達の個人差・多面性・環境を通して子どもは相互作用で発達する事を考慮し、子ども同士のごっこで身体・知的・情緒・社会・道徳的発達をとらえて共感・見守り・励まし・慰めなど温かい働きかけで自信つけ、自立させ、意欲を身につける教育となります。

 

 

初めての場所で何も言えなくなったわが子に対して

 

 四月は入園や入学のシーズンです。幼稚園・保育園・小学校に入ったときのわが子の姿を見て母親として戸惑ったり、うれしくなったり、悲しくなったりすることがあります。今まで家庭ではわがままいっぱいですぐに怒ったり、笑ったり、泣いたり、文句を言っていた子が新しい場では、何もいえなくなったり、下を向いたり、母親から離れなくてしがみついたり、様々な行動をすることが見られます。

 

 子どもにとっては、家庭と違って大勢の子どもがいて匂いが違う・人がいっぱいいて周囲が見られない・大きな声が聞こえてうるさい・眼の前を走り回って怖い・チラチラと光が入って落ち着かない・何していいか緊張するといった状況となっている場合になります 

 

このような始めての場面で不安と恐怖で何もできないと言う情緒の不安定な時に母親の態度により、子どもは安心したり、反対に不安定となってしまいます。

 

 母親が早く友達の中に入らせたいという気持ちが強すぎると《ハイ、大きな声で名前を言いなさい》《テレない・恥ずかしがっていないで元気な声で挨拶しなさい》という集団に早く慣れさせなければならない・友達と早く仲良くすることが重要などと母親の都合で接すると、子どもは萎縮したり・頑張らなければならないと緊張しすぎて、どのように頑張って良いか不安になってしまう場合となります。

 

 このように大勢の前に出ると何もいえない子は感性が豊かで、知的発達が高く観察力が鋭いことと言えます。見なさい・聴きなさい・触りなさいといわれなくても「自分で○○する」という自発的行為がすばらしい子どもといえます。将来、素晴らしい能力を発揮する子どもたちということを、親として信じてあげて欲しいとお願いしたいものです。

 

 このような子どもに対して「今日は友達の動きを見ているだけで良いよ・匂いをかぐだけで良いよ・友達の声を聴いているだけで良いよ」という最初の出会いを説明・指示したいものです

 

 しばらく周囲を見たり・聴いたり・状況を判断し次に落ち着いてきたら、今日は「○○」と名前だけ言えば良いよ。名前を小さな声で言ったり、口の中でもごもごと言えるようになります。

 しかし、まだまだ大きな声では言えません。少しずつ聞こえる声になったら、さらに「○○です、よろしく」と「よろしく」が言えると良いね、「よろしく」だけでいいよ。

 

 親は焦らないこと・言えないからと怒らないこと「怒ったら負け」を肝に銘じておきたいものです。次に「○○です、遊ぼうね」と《遊ぼうね》と言えたら最高です。

 

ここで大切なことは「言葉は聴いてくれる人がいるから話したくなる」という聴き上手な先生や友達が重要になります。初めての場で緊張と不安なために周囲を判断することが偏っている感性が鋭い子には、一つ一つを具体的に説明することで納得させることで情緒が安定します。

 このような子どもたちの感性が鋭く知的発達が高いことを見つけ、その知的能力の豊かなことを親として気づかせることが重要になります。

 

 そのためには、わが子の知的発達が高いことを信じることが大切になります。いつもきれいな色・形・景色を気づいたり、味では苦い・おいしい・甘い・しょっぱいなどを指摘したり、寒い・暑い・冷たいなどを体で示していること気づくことで感性が鋭いことを気づき、一緒になって共感する親でいることで、能力があることを信じる親になります。

 

 一生、わが子の能力を信じる親でいたいものです。親に信じられている子どもは幸せを味わい、自信を持つことが出来、そして自立できて、さらには積極的に人や物にかかわる意欲のある生き方が出来ていきます。

                園長  飯田 和也

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