統括園長 飯田 和也
日本には様々な多くの国から働きに来ている人がいます。その家族の子どもたちの最初は日本語を話すことができなくて生活をしています。日本語を聴いたり、話す体験がなかったからです。
その日本語をしゃべることができない子どもたちを早く日本語を話すことが必要という考えで「話させよう」と訓練や教育をするとその子どもにとってはとても辛く・悲しく・苦しい・怖い体験に結び付くことがあります。
日本語を聴いても理解できない・父や母が使っている母国語と結び付かない・日本語を話しなさいと押し付けられても発音もどのように発していいか理解できない状態と言えます。そのような時に早く簡単な言葉だから覚えてと「おはようは、お・お・とゆっくり言ってごらん。」という態度で「お」が言えたね。言えるじゃない、つぎは「は」というのだよ、教えている場合もあります。一言ひと言、言われてもおはようという言葉に結び付かなくて話すことができない場合も見られます。
ここで重要ことは、この日本語を話すことができない子の多くは知恵が遅れているのではありません。日本語を話す環境がなかっただけで発達「資質と能力」が問題ではないということを理解したいものです。
生活している環境を再構成してあげることで成長・発達するということになります。障がい児というレッテルを貼らない配慮を周囲の大人も子どももすることです。特に、日本語で話すことができた喜びを見つけてあげることで聴くこと・話すことの能力があることを信じてあげることです。
名前は〇〇、そう名前が言えて素晴らしいね。いくつですか、△△、そう言えたね、わかったよ。好きな食べ物は□□、□□が好きなのという応えやすい言葉を使って話すことが出来た喜び、もっと話したいという意慾を気づかせてあげることです。難しい日本語を話させて「いえない・わからない」という言葉への劣等感を付けるのでなく、ここで話すこと間違っていてもいいよ、たくさん話さなくていいよ、一つでいいよ、話すことできたという自分で〇〇する自発性・主体性を身につける場を大人も友達も温かい雰囲気をつくってあげることです。
この子はしゃべることが遅れているというレッテルを貼るのでなく、聴いてくれる人がいるから話したくなる環境を作れば話すことができる子です。一人ひとりの発達する能力を周囲にいる大人や友達が信じてあげれば、温かい環境の中で困難を乗り切って生きていく子どもです。見守ってあげたいものです。