子どもは環境との相互作用を通して発達する

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お母さんの愛の言葉と態度で子どもは「幸せな一日となります」 母の日を前に

                            平成21年5月15日 303号  参照

おかあさん、今日、何回子どもに有難うと言いましたか。

おかあさん、今日、何回子どもに幸せと言いましたか。

おかあさん、今日、何回子どもをぎゅっと抱きしめましたか

おかあさん、今日、何回可愛いと思って見つめましたか。そのとき、子どもはにこっと微笑み返してきましたか。

おかあさん、今日、何回失敗してもいいよ、能力信じているからねと思って触れ合いましたか。

おかあさん、今日、何回多くのことを要求しすぎないでいいと思って触れ合いましたか。

おかあさん、今日、何回具体的にここが出来たねと共感しましたか。

おかあさん、今日、何回子どものために腰を落ち着けてじっくり時間を割いて聴いてあげましたか。

 

 このように愛のあふれた環境により子どもたちは、 愛されている・認められている・受入れられてる・信じられているという感覚になることで生きる喜びを味わうことになります。生きる喜びから自分は泣いて騒がなくて良い、また、わざとひきつけな

くて良い、自分ができないことを 隠さなくて良い、劣等感を持たなくて良い気持ちになります。

ひとりの人間として心が育っていくことになります。そして、失敗してもいい、出来なくても見

守ってくれる人が一人いるという状況で行動することから「自分で
とか( 自分から) という行動に結びつきます。

そこで、自分の能力を
見つけ、さらには気づかせ共感してくれる人がいることで、自信がつき「自分で」 「自分から」という意欲がさらに湧き自主性という生きる力になります。この「自分で○○する」という行為は、押し付けたり、 頑張れという励ましだけでは身につきません。

 自分は周囲から(愛されている)という感覚により、我慢する態度や人を愛する気持ちになります。

 子どもを心から愛しているなら、子どもを授かってよかったと いう気持ちで「有難う」と言えたり、貴方の行為でお母さんは幸せ一日でしたよと、心を込めた触れ合いによりお互いが幸せな一日になります。

 時々、この幸せが当たり前と感じ、生きる喜び与えられていることを忘れ、見失い、相手に対して多くのことを要求しすぎたり、イライラしすぎたり、怒りたくなったり、無視したり、ガミガミ言いすぎたりして相手の事が見えなく、幸せなひと時を見失っている親子関係が見られます。

 上に挙げた全てのことをすることは不可能ですが、時々、自分が子どもに対して見失っている

 態度を想いだし、生きる喜びと生きる力を親として子どもから与えられていることを見直すキッ

カケにしたいものです。

心から可愛いなあと思って見つめると子どもがにこっと微笑んでくれた時の嬉しさを味わうこと

で「この子に出会ってよかった」という感情を味わうことになります。


 親として(ゆとり)のないときは味わうことは困難ですが、この文章を読んだ時に、時々思い出し

ていただければという願いを込めて書きました。子育て真っ只中の家族にとっては、見失ってい

愛のある触れ合いが毎日あっても見つけることが出来ないかも知れません。


 幼稚園・保育園・小学校での行事の場面や友だちとの触れ合い、先生からの温かい言葉かけの中

に見失っていたことを思い出す場面から、わが子をこんなにも愛している自分を思い出していただ

くことを願っています。親子で共に高まる場を与えられることで、生きる喜びや生きがいをみつけ

ることに結びつます。 この手紙がいつの日にか、多くのお母さんに届くのが私の夢です。

                 園長 飯田 和也

保育の基本134 指導計画立案と実践そして評価の基本は「あなたが生まれてきたことで周囲の人々を幸せにしている光のような存在である。

             東海学園大学  飯田 和也

 

 保育者として幼稚園や保育園で出会った乳幼児に対して「あなたは幼稚園や保育園で「光」のような存在ですよ」といった捉え方で保育を立案・実践、そして評価していたら保育はまったく違うのではないだろうか。光のような存在と言う発想でその子どもと触れ合う事が出来れば、○○が遅い・△△ができない・□□がへたと言う決め付けた評価をする事ができなくなってしまうはずです。

 そして立案が光のような存在ならば、乳幼児の生きる力・発達が自分ひとりだけでなく周囲にいる大人「親、保育者、地域の人」子ども「幼稚園児、保育園児、小学生から大学生、障がい児、」など様々な人間関係にまで影響します。

 保育者が光のような存在と感じると、子どもを評価するときに上から目線とか決め付けた態度・能力という自分自身の偏った考えを見直すことに気づかせられます。そして、自分が乳幼児の態度を点検・評価する視点が幅広く・奥が深いことを実感させられるということまで影響受けることを教えられます。

 生まれてきた一人の子が将来生きていく上で、住んでいる地域から国だけでなく地球全体まで影響を与える場合があることを考え大切にしたいものです。

 生まれてきたときに障がいが合っても・なくてもその子は尊い命を授かってきました。母親が自分の子どもと一緒いる事を幸せと感じることができれば、その子どもは母親と一緒にいる事を幸せに感じます。親としての愛情を心から注ぐ事で子どもは愛されていると実感できます。

 同じことで保育者が乳幼児と一緒にいるだけで幸せと感じる事となります。保育者から愛情を受けて育った乳幼児は、家庭と違った環境になっても愛されていると感じ、ここで失敗しても良い・出来なくても少しかかわってみようといった意欲が湧き生きる力に結びつきます。

 あなたは保育室の中で周囲にいる人にとって光のような存在となっていますよ、そばにいるだけで回りはあなたの笑顔から楽しくなります、あなたの声が聞けるだけで嬉しくなります、あなたの顔を見ているだけでわくわくしてきます、あなたのウンチを見るだけで生きていて良かったと味わいます、あなたのおっぱい飲む姿をみるだけで幸せです。あなたの動く手を見ているだけで自分も動きたくなります。このように感じている先生や友達がいる事を味わって欲しいのが保育という営みです。

 このように乳幼児を愛しいという感覚で立案するならば、又、保育実践しようとすると環境構成が温かい愛に満ち溢れた雰囲気が考えられ素晴らしいクラス・保育園の環境ができます。

保育者が光のような存在の子といった感覚で見つめると優しい笑顔が湧き、失敗してもいいとおおらかになり、多くのことを要求しないからねとやさしい態度ができ、さまざまな能力を持っている事を信じているからというゆとりを持ったふれあいに結びつきます。

 このような考えは理念の中に含まれます。すると目標を具体化した「ねらい」として真っ先に乳幼児が可愛い・大事な子・子どもたちから保育者も生きる力を得ているといった共に育つ『共育』と乳幼児も保育者も一緒に発達するという基本に結びつきます。

 また、養護の考えがさらに広くなり命を守る・情緒の安定を図る・生理的欲求を満たす・保健衛生的にするといった保育者がする生きる喜びを与える実践では、さらに保育者の生きる力も得られるという発想に結びつきます。

 また、乳幼児が困難を乗り切る力を身につけるという教育を考える時に、自分たち保育者も生きる力を光の存在の子から得るチャンスが与えられるという事で発達の考えがさらに幅ひろく深くなります。乳幼児も保育者も保育と言う環境を通して相互作用で発達するという考えです。

 立案で大きく異なるのが人的環境と雰囲気の中で保育者自身が乳幼児の担当になった事で自分が幸せと感じ、自分を大切にする事ができ保育者としての自覚と自信を持ちます。

 目標の中に「障がいがあってもなくてもあなたが生まれてきた事で周囲の人々を幸せにする場を培う」「あなたが保育所に入った事で周囲の乳幼児や保育者を幸せにしているような存在で生きている価値、そして生きる力を養う」このように目標の言葉が立案される事で『ねらい』の中にある『楽しむがそばにいるだけで良い・見ているだけで良いなど幅ひろく理解できます』

 そして『味わういった中身も食べ物に唇を少しつけるだけで良い、様々な匂いをかいでいるだけで良い』また、友達のそばに近寄るだけで良いよ、言葉に言い表す事ができない悲しさ・悔しさがあるねと共感できる態度に結びつきます。

 『ねらい』の心情、意欲、態度を見つけ、乳幼児に気づかせ、生きている喜びを味あわせて保育所にいるだけで自分は楽しいという感覚になります。そして保育者も自分自身の保育が楽しくなり、保育の質が高まる感覚で一緒にいる事で幸せを味わう事に結びつきます。

 

 光のような存在と感じる保育

失敗してもいいよ・笑顔となる・優しい言葉が湧く・肌のぬくもりを与える・解ることば・受け入れる・認める・友達や先生に心情を代弁される・出来たことを共感される・辛い時慰める・失敗した時励ます・子どもが子どもをほめるなど乳幼児も保育者もお互いが生きる喜びと生きる力が与えられる保育となります。

 

保育の基本 133 保育のプロと言われるために

                           東海学園大学  飯田 和也

 

 保育者養成校を卒業してすぐには本当の保育のプロにはなれません。しかし、保育のプロを目指して毎日保育実践する事が求められます。

 保育のプロとは、1保育者として○○の保育をしたいという保育の目標を立てることが重要です。2には、言葉だけでなく実践して少しでも目標に近づけ乳幼児を愛した保育の結果を明らかに見せることです。3には、目標のために毎日こつこつと努力で成功「結果」をつかもうと乳幼児を愛する持続力を持つことです。4には、保育の中で人の嫌がるようなことでも積極的に行動する能力を持つことです。5には、保育の奥の深さを見つけ、自分の保育観を信じる力を持つことです。には、自己点検・評価をとおして常に乳幼児を愛するために改善しようとする謙虚な保育態度を持つことです。

 

 1のように保育のプロとなろうとするためには、目標として何を大切にしたいか明確にする事になります。ここで重要な事は、目標として主語は子どもと言えます。大人が主語にならないことであり、自分が客観的に保育の世界にいる事を見直したいものです。

 何故保育者になったか、具体的に保育の目的である「子どもの最善の利益のため」と言うことを忘れないで立案したいものです。子どものためといいながら自分の保育技術だけを高める事ではありません。当然、給料とかお金を手にすることだけが目標ではありません。乳幼児の命を守り、情緒の安定を図り、園児が自分で生きる力として大切にしたいものを目標として具体的に立案し言葉に表すことが保育のプロとしての第一歩になります。

例えば、「養護に包まれて教育がある」「日常保育のなかで発達を身につけさせたい」「友達同士のかかわりから思いやりのある態度を育てたい」「日本だけでなく世界に通用する生きる力を乳幼児に身につけさせたい」「自分が働いている保育の理念を理解し目標の中にある○○を子どものために深めたい」など具体的な乳幼児を愛する目標を立てられる保育者です。

 私の場合は乳幼児の発達を重視します、しかし、そこには乳幼児へのがあることが基本としています。

 自己点検・「目標があるか」評価・「乳幼児を愛する具体的な目標であるか、立案の根拠は」

 

 2のように、上に立てた目標を言葉だけに終わらないで乳幼児に発達を身につけた結果を残すことです。保育実践の一年が終わったとき、点検・評価し結果として考えと実践が結びついていることです。

 目標としていた事が乳幼児の行動に結果として身につけたことを具体的な成果として出すのが保育のプロです。指導計画立案ができている事が条件に結びつきます。

 縄跳びの例としてただ上手に縄跳びを飛ばせるだけでなく、最初は跳べなかった子が最後は前跳び・後ろ跳び・あや跳び・交差跳びなどを自発的にかかわる意欲・友達に邪魔しないで約束を守る態度・自分で工夫して考えた知的発達・跳んだという充実感から身のこなしの使い方を身につける態度を結果として残す発達支援「保育実践」をすることになります。

 このように様々な発達の方向性を抑え、発達過程を考慮した保育場面で園児が自分で困難を乗り切る主体的な生き方を身につけた結果を具体的に残すことです。

 私の場合は、乳幼児が「困難にぶつかっても自分で乗り切る力」と「自分から○○する」主体性を身につけさせることを点検・評価します。最後の別れのときに発達を身につけさせて、将来困難を乗り切る力や自分から挨拶したり、人に言われないで片付けたり、五領域で偏った発達でなく身につけることが出来たかを評価します。主体的かどうか出来ていない場合には、立案と環境と支援を改善します。

 

 

のように、毎日子どもの姿を観察し、自分の保育実践を立案し、結果がでるように様々な視点や信念を信じてこつこつと保育実践を努力することです。

自分の信念を信じて毎日努力する事ですが、基本は子どもが大好きでないと続きません。子どもの行為が可愛いと思えるかも大切といえます。「好きこそものの上手なれ」と言う言葉があるように最初はうまく出来ないが続けることで次第に上手になります。保育が好きで体力がないと保育のプロは続けられません。

 記録にしても、毎日子どもの姿を観察する時、乳幼児が動いたり、じっとしている時を見つめた時に可愛いなあと思って観察できることです。毎日、仕事だから仕方ない・ノートを造らなければならないからと義務だけでは限られた観察しか出来ません。時間も体力も知識も幅広く持っていて続ける事が可能になります。それには保育者として子どもが大好きで保育が楽しくないと続ける力が湧いてきません。

 私の場合は個人ノートを四月に作成し、出来るだけ乳幼児の言葉を聞いたり、友達とのかかわりの中で見ているときの消極的な場・積極的な場などを記録します。

 また、描いた絵の飾ってあるのも記録します。一緒に遊んだり紙芝居をしたときにどのように反応するか、歌わせている時にどのように口を動かせているかを観察しながら伴奏したり、リトミックでの反応に対してチェックしたりします。このようなときに多くのことを要求しない・一つで良いよ・失敗しても良いよといった笑顔を示す努力をして一年間出来るだけ良いところを見つける努力をしています。

 又、手首にキティー・アンパンマン・プリキユア・仮面ライダー○○を描いたりして順番・言葉の使い方・健康かどうかチェック・母親とのやり取り等を観察し記録して一人ひとりの発達を観察し改善に結びつけます。

 

のように、人の嫌がる事を自分から行動する。掃除や片付けや次の日の準備など、保育場面は自分にとって都合のいいことだけではありません。子どもができなかったと泣いていたり、取られた・いじわるされたと怒っていたり、やりたくないと嫌がっている場面や先生○○してなどの要求が見られます。そのようなとき、自分の都合でかかわらなかったり、面倒だからやろうとしないと言う態度でなく子どもの発達のためには、今、必要な保育実践をするといった態度が保育のプロには求められます。

 園児が甘えて泣いているのに受け入れる必要がないと無視したり、友達におもちゃを取られて悲しいと言えずに泣いている時に聞いてあげたり、喧嘩して相手のことを受け入れる事ができなくて叩いてしまいさらに喧嘩となり、怪我をさせたり、怪我をしたが自分の心を伝えられなくて悔しい思いをしている事があります。

 そのような時に言葉で言い表す事ができない悔しさを代弁してくれる先生になってあげて両方に道徳的発達の思いやりを育てることが求められます。

また、保育の中で保育室や園庭などで命を守るため、さらには病気にさせないために人が見ていないところでも清潔にする、道具を片付ける、水道の水の出しっぱなしがあったら蛇口をしっかりと止めておく、くもの巣がはっていれば取り除いておく、花壇の草を人知れずむしりとっておく、ほこりがあれば清潔にしておく、これらは養護に包まれて教育があるという考えに基づいているといった信念でもって人の嫌がる事でも積極的に行動する事が保育のプロとなります。

 私の場合は、出来るだけ保育室の掃除・園庭の石ころや草取りなどの整備・くもの巣をとること・道具の片付けなどをして「掃除は命を守り、病気にならないためにしているのだよ」と園児や先生に伝える事で養護の基本だという事を伝えています。

 

としては、「保育は難しいでなく奥が深い」という言葉があります。難しいと感じて逃げるのでなく,止めることなく深めようと言う意欲を持つのがプロです。

 自分の知識の未熟さを棚に上げて自分の実力は行き止まりとなったと感じると終わりになります。いままでの自分だけ考えた視点でなく、周囲の人の考えや方法を謙虚に受け止めることでさらに前進するのが大切となります。

 自分の保育方法が一番・自分の考えが最高・自分以外は間違っているなどと他人の理論や方法を受け入れない、聞く耳を持たない、独りよがりの自己満足な生き方では保育の本質を見つける力となりません。保育は時代によって地域によって、環境により乳幼児の発達は異なる場合が見られます。

 昭和の時代の保育の考え方、平成になってからの保育の変化、そしてこれからの保育制度の在り方など変化しています。このような保育観の変化に適応する能力が保育のプロとして求められます。昭和の保育の指導計画は子どもの活動・・物的環境・・援助・配慮といった様式でした。

 それが平成時代の指導計画は、目標・・ねらい・・内容・・環境構成「物的・人的・雰囲気」・・予想される活動・・援助・配慮といった様式になりました。このように時代によっても大きく変容している事で保育観が異なっています。それに対応する柔軟さと乳幼児の発達のためと言う保育観を持つ事が大事な条件となります。

 私の場合は、昨年と違いさらに知識も技術も保育の質を高めようとする自分を見つけること。さらに保育の視点が深まっている事を自覚する生き方を求め続けること。毎週・毎月新しい自分発見を乳幼児から教えられる喜びを味わうことと言えます。

 

としては、常に自己点検・自己評価して改善に努めることです。保育のプロは常に乳幼児の発達を愛するための改善する力を持ち続けることです。

目標が子どもの発達を捉えていたか、一年間の保育実践の結果が乳幼児の発達に役立っていたか、子どもを愛する努力を持ち続ける事ができたか、自分の信じた考えが正しかったかといった視点を見直すことです。

自分ひとりで評価するのでなく園長や主任、又、仲間から評価される事といえます。そのためには指導計画の点検・評価を受けること、公開保育をして保育実践での環境構成や発達支援の癖を見てもらうことも重要になります。また、周囲にいる保育者から日常のクラスの子どもたちの態度を客観的に教えてもらう事で発達の偏りを評価できます。園内研修で発表し評価をしてもらう事も重要といえます。

 

 保育のプロと呼ばれるためには、乳幼児を心から愛する態度と自分を高めようとする隠された努力が求められます。

 

子どもの発達については保育の基本130にて「五領域」「おおむね○歳」「子ども同士の発達」を参照していただければ幸いです。

子どもは環境との相互作用を通して発達する

 親として四月の今までと異なった環境に対して、わが子がどのように関わって育っていくか心配と不安になります。子どもが大きく成長するにつれて家庭と言う温かい雰囲気の中で危険から守られて育てられた子が、新しい場を乗り切っていけるか気になります。

 特に、家庭のような小さな人間関係から幼稚園や保育園・小学校のような大きな集団に入れる場合、泣いてばかりいないだろうか、トイレが家と違っているし人がいっぱいいてできないのではないだろうか、友だちに言葉を掛けることが出来なくて一人だけで立っているのではないだろうか、いじわるされているのではといった家とは違う環境を意識するのがお母さんと言えます。

 新しい環境に対して母親が環境を理解し、おおらかにゆったりとした心でわが子の乗り切る力を信じることが条件になります。しかし、母親が心配しすぎると子どもの中には意識しすぎて幼稚園・保育園・小学校と言う言葉が入りすぎて、どのようにかかわってよいか理解できない場合もあります。

 子どもたちに安心できる場と言う事を示したり、説明しないで親の都合で急に黙ってつれてこられる場合は子どもにとって泣きたくなります。子どもは新しい場に対してとても敏感です。

 大人はこの子は話さないから・言えないからと勝手に解釈をしている場合ほど,子どもは鋭く保育室の大きすぎる音・先生や子どもの声・友達や大人の速い動き・子どもの遊んでいる状態・トイレの匂いや明るさ・部屋のぬくもりや冷たさなどの雰囲気を瞬時に観察し判断します。

 言葉で周囲に言えない子ほど鋭い感性で保育室や人の行動を見ています。新しい保育室で、大きな声で元気良く声をかける先生や友達に対して、全員が元気良く答えているかと言うと、大きな声を苦手な子どももいます。そのような時にゆったりとにこにこと笑顔で距離を置いて優しい言葉を掛けてくれる先生や友達を探している場合があります。

 しかし、母親として新しい場面に出会うと「元気で明るく、挨拶が出来る子」に早くなって欲しいという願いが強すぎる場面があります。

 子どもはじっと友達の行動が自分に合っているか見つめ、優しい態度をしてくれるか、自分に厳しいか苦手かを探します。クラスの中が家と違うかをチェックします。触っても良いおもちゃ動かしやすい道具「新たな環境」を見つけるのが最初の出会いとなります。しかし、子どもたちは自分の気持を素直に表すことができない場合が見られます。


 本当は気になっているのにわざと「嫌い・いやだ・あっちへ行け」などと反対の言葉や態度を使って気になっている事・好きな事・興味持っている事などをあらわす事が多く在ります。そのような時に大人は「可愛いなあ」と言う気持ちで温かく笑顔を作って距離を置いて見守っていることです。

 そして、チラチラと不安で見ていることから安心する眼に変わります。そこで始めて相手が興味を持っているアニメのトッキユウジャーやキティ、アンパンマンを手のヒラに描いて見せたり、人形やハンカチをわかるように示すと安心します。このような小道具を使う事で自分を受け入れてくれる人には心を少し開きます。

 親はわが子の成長・発達に相応しい環境を用意してくれる場・そして愛してくれる先生や友達がいる事を信じる事で子どもは安心して自分から「入れて・遊んで良い」と言う気持ちに結びついてここで失敗しても良いとなり新しい環境にかかわります。

 子どもに対して「困難な場を与える勇気」「自分からかかわりたくなるおもちゃや友達」そして初めての場を乗り切るときに多くの要求をしない優しい・温かい態度が求められます。

 人生は辛い・悲しい・苦しい事と同時に楽しい事や嬉しい出会いもあります。家庭と違う環境を与え、親として温かく見守り、困難を乗り切る力を一緒に身につけさせたいものです。

                    園長 飯田和也

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