指導計画立案を自己点検・評価するとき愛がありますか
東海学園大学 飯田 和也
1 ねらいの立案は、目標をより具体化したねらいとして発達「自我能力と主体性」を考えた言葉を立案しているかチェックしたいものです。
また、卒園までに身につける心情・意欲・態度と理解します。
ただ、上手に技術を身に付ける教育を考えた立案でなく各園の目標にある発達「困難を自分で乗り切るためという子どもの将来の発達を考えている事、また、人から言われないで自分で考え・行動する主体的な力をつける」ためという考えが
『ねらい』の立案にはいっているか、さらには、園全体が発達を抑えている保育課程を基本にした立案かを点検・評価したいものです。
ここで保育者から子どもを愛する立案と実践がないと保育は成立しません。保育者から認められている・受け入れられていると感じているのだと子どもが感じていないと発達に結びつきません。
子どもの愛されているという立場になった気持がないと『押し付けられている・与えられている』となり主体的な行為に結びつきません。そこには保育者と子どもの間での愛のある雰囲気があり、保育者も子どもと同じような共感する態度が生まれてきます。
ここで最も重要なことが『自分で○○する』力を見つける眼と同時に身につける教育を行うには子どもたちの能力を理解した相応しい働きとして愛する姿勢です。
また、保育者として発達を知らないと発達支援になりません。大人が主語か子どもが主語かによって愛があるかどうか評価できます。
ねらいを立案するときに子どもが主語であればねらい・内容・環境構成・予想される活動・援助など子どもの立場となった保育実践になります。しかし、発達を理解しないと子どもが出来た・できないといった技術だけの保育実践に結びつくのみです。それは保育者が主語となり子ども不在な立案と実践です。
2 ねらいは発達の方向性として『楽しむ・味わう・広める・深める・しようとする』心情・意欲・態度を大切にする事です。
そこには到達目標(指導したい事項・援助事項)のような『知る・参加する・世話する・出来る・守る・造る・食べる』とは異なる言葉を立案しているかチェックしたいものです。
反省として『がんばらせること・一生懸命やる事・上手に早くさせること』といった意欲中心だけでなく、今はそばにいるだけで良い・聞くだけ・見ているとき・匂いをかぐだけでも楽しい・味わっているという心情を理解したいものです。
ねらいの立案の中に卒園までに将来を生き抜く力を身につける教育とするため最初は、子どもの近くにいるだけで楽しんでいるとき、そして温かい雰囲気を味わう事で困難に対処する力の基本を身につけていることを再確認したいものです。
3 環境構成として物的環境・人的環境・雰囲気の立案で、子どもがかかわりたくなる自発的となる環境として立案してあるかチェックしたいものです。
物的には少なめに用意するといった目標にある自我能力を身につけるための立案も大切となります。将来の子どもの発達『自我能力』を身につけて欲しいという本当に愛のある教育ならば有り余る物的環境を用意するのではありません。
人的として先生が失敗する姿、かかわりたくなるためにも時々失敗を取り入れたいものです。あまりにも子どもの能力からかけ離れた人的環境『モデル』では自分から環境にかかわりたくなくなります。
子どもを愛する保育には欠かせないモデルを示す能力が保育者には求められます。
雰囲気として「かかわりたくなる雰囲気を作る」と言う立案を工夫します。
子どもは愛されていると感じる笑顔があり、失敗してもいいよという温かい愛のある雰囲気を保育者が表すことで安心して『ここで失敗しても良い・自分からやっても良い』と言う感覚になり養護にある情緒の安定ができ試したり、挑戦する心が湧きます。
4 ねらい・内容にふさわしい環境にどのようにかかわるかとして『予想される姿』と『予想される活動』の違いを考慮した立案であるかチェックしたいものです。
指導内容・援助事項に『片付け』と立案があり予想される子どもの姿欄に『遊んでいたものを片付ける』『遊びを切り上げられない子もいる』そして援助活動・配慮事項に『保育士も一緒に片付けながら片付け方を知らせる』と言う流れがある日案を点検・評価します。
片付けの場面で子どもの姿として片付ける子を取り上げ、遊びが途中の子の姿が立案されています。そのときの援助は保育士も一緒に片付けながら片付け方を知らせる。と言う保育実践をしたいための立案ですが主語は保育士になっています。
ここで子どもを主語にすると様々な視点が異なってきます。
「片付け」の活動内容・指導・援助事項として『予想される姿』の視点を『生き生きと行動する様子・子どもの活動』に変えると『遊んでいたブロックをボックスに投げ入れる。
絵本を元の絵本立てに戻す。自分がすると言って友達と一緒に使っていたままごとセットを奪ってかごにしまう。片付けないで砂場で砂山を造りそのまま遊んでいる。』といった
子どもが主語となり、どのようにかかわるかと言う幅ひろい立案に結びつくと援助の立案が変わります。ブロックを投げるとブロックが壊れるから優しく元に戻してね。絵本を丁寧に戻して笑顔で有難うねと伝える。
友達と一緒に仲良く片付けると気持ちいいね。もう片付ける時間だから砂場の道具優しく丁寧にかたづけてね。』といった片付け方を園の方針に沿って伝える事もでき、
子どもは片付け方を理解しながら道具の大切さや社会的ルールを身につく教育に結びつきます。
援助として『発達支援の具体的な言葉が点検・評価する事で改善に結びつ
きます。問いかけ・見守る・共感・励まし・慰め・指示など』乳幼児・障がい児・幼児の発達「自我能力・主体性」を身につける言葉が立案してあるかチェックしたいものです。
指導・援助事項の活動内容『手洗い、排泄』予想される子どもの姿『トイレに行き排泄する・石鹸を使い手洗いする』
援助活動『洗い残しがないように見守り、出来ていない子には洗い方を知らせる』このようにここでは大人がさせなければならない・洗わせなければならないという視点で見る、大人が主語になって大人の都合の保育実践です。
出来ていない子には洗わせなければならないといった実践となります。しかし、石鹸を使って出来ている子には『指と指の間まできれいになったね、○○チャン』といった受け入れ方・共感するといった発達援助の働きかけがあることで子どもを愛する保育に結びつきます。
5 養護と教育の区別を明確にチェックしたいものです。
保育士がすることが養護、子どもに発達を身につけさせることが教育で五領域の健康と混同しないこと。
指導計画の養護・生命の保持の欄に「基本的な生活習慣や態度を身につける。体調を把握し、自分で身体の異常を訴えられるようにする。基本的生活習慣が身につき自分でできたことに自信や満足感を持てるようにする。病気や事故防止などの認識をする。体調や気候にあわせて衣服を調節する。」
この文は子どもがすることで養護の内容ではありません。
これらは養護の生命保持に記入されていたが、子どもが身につける教育・五領域の健康です。五領域「健康」では自分の健康に関心を持ち、病気の予防や健康増進のため、安全に行動するという自ら健康で安全な生活を作り出す力を養う事です。
養護は朝来た時のそのままの姿で、帰るときに親に渡す事です。津波に遭い何日も帰ることが出来ない園児の命を守り・病気にさせない事、お母さんと甘えたときに情緒の安定を図るのが保育者のする養護です。
『がんばって衣服を整え、寒くても自分で食べて自立して生きなさい』健康にある生活習慣の自立とは違います。愛がありますか。
これらは点検・評価するだけでなく次の保育の出発点として改善するための鍵となります。
しかし、自分で難しいと決め付けたり・勝手な解釈をすると自己満足な点検・評価になります。自分の勤めている保育園の基本である理念や方針、そして保育課程を必ず受け入れて謙虚に養護と教育を見直す事が重要となります。