岐阜県中津川市 学校法人 緑ヶ丘学園 誠和幼稚園|誠和幼稚園ブログ

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東北大震災の被災地に立って

2011年7月6日 水曜日

 人生は様々な出会いによって大きくかわることがあります。1000年に一度という地震と津波に遭わなければ幸せな家族で過ごしていることができたのに、家は流され、家族も失くし、一人ぽっちになってしまった人が大勢います。

 被災地に立つと瓦礫の山、山、そして土台だけの家、車がぐちゃぐちゃに押しつぶされたままの形、大きな船が陸の上に上がったままの姿、電信柱はボロボロ、鉄筋コンクリートのビルが根こそぎ横倒しに倒れたまま、砂ほこりとなんともいえない匂い、だだっ広い中で東西南北が把握できない感覚、毎日続くお葬式、夜になるとドロボー、時々襲う余震の恐怖、いつまで続くのか不安な日々を味わっている人々の生活があります。

 震災から四ヶ月経って被災地に立ち、悲惨な状態を眼の前にして涙がこみ上げてくると同時に『地震・津波のばかやろー』とつい大声で叫びたくなりました。今、保育園の子どもたちの中で『お葬式ごっこ』や「津波の中に人がおぼれている絵」通っていた保育園が無くなり新しい保育園に行かなければならないとき毎朝、お母さんから離れることが出来なくて泣いている子どもたちが多くいます。余震が来ると大きなテーブルの下に真っ先に隠れて震えている子もいます。テレビで取り上げられていた名取市の保育所は現在コンクリートや瓦礫の山となっていて保育所の面影はまったく見つかりませんでした。

 市の土地のために砕石場となりガラガラと大きな音を立てて高く積まれたコンクリートの破片をベルトコンベアーで以前子どもたちが遊んでいた場所で小さな石につぶしている場を見て保育者として大変胸が裂ける思いがしました。
 記録の写真集で見たきれいな黄色の老人施設の建物や、つぶれかかった家々。ほこりの中を走り回るトラックの中で、園長先生から「海のほうに向かって自家用車を取りに行き、片足の靴も脱げていたが必死で子どもの命を護るため津波が来るほうに走ったのです。」そして「子どもを連れていち早く逃げる。独自の逃げるルートを決める。落ち合う場所は学校。」先生と添乗者そして10人前後を必死に車に乗せて逃げた。途中の五差路は事故や渋滞のために独自で逃げ、時速115キロと言うものすごい速さと力の津波に対して命を必死で護った話を聞くことができました。

 3時30分一度に津波が押し寄せ「このまま死ぬのだなあ、保育士として子どもと一緒に死ぬのだなあ」日が暮れて真っ暗になりプロパンガスの爆発が響いている中、子どもから『ママは』と問われて言葉に詰まりながら『ママね。いっぱいお水が来て、泥んこですぐ来られないけれど先生や友達とまっていようね』と一人の先生が四人の子どもたちをひざの上に寝かせて落ち着かせたそうです。
 又、水がない時学校に流れてきたコカコーラの車の中からジュースで水分を補給して朝を迎え、三階から校庭を見ると車と瓦礫、そして死体がたくさん浮かんでいたのを見て『子どもたちには窓に近づけないで』と叫んで見せない配慮をしたそうです。

 ある園は近くの高い駅ビルに助けを求めたが断られた。停電のために車のテレビとラジオで津波が来るということでとっさの判断で普通のはしごを使って保育園の屋根の上に抱いたり、おんぶして子どもたちを上げた。屋根にシートを敷いて、あるだけの布団を持ち上げてそこに乳幼児を集めた。その日は寒くて雪が降り始め低体温で命を失くさないようにブルーシートでドームを作り、乳児を真ん中にしてまわりを年長の子どもたちが囲み、先生がその周りを肌のぬくもりで暖を取って命を護ったということでした。

 このように津波の中、真っ暗闇で雪の中、必死に子どもたちの命を護り、保護者に次の日に渡した先生たちの努力があり大勢が助かった現実もありました。今でも瓦礫の下にわが子の姿を追い求めている母親がいます。このように大人として子どもの命を護ること、命の大切さ、生きる力を子どもに伝えたいものです


園長 飯田 和也

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